この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

天国と地獄と長い箸、のお話に感じる、違和感。

こんにちわ。天機です。

 

 

 

ネットで、「天国 地獄 長い箸」で検索すると、

だいたい、つぎのような内容のお話がヒットすることがあります。

 

 

 

あるひとが、天国と地獄の様子を見てみました。

 

天国と地獄には、共通の決まりごとがありました。

 

それは、「長いお箸を使って食事をする」ということでした。

 

まあ、通常のお箸は数十センチですが、

天国と地獄で使われているお箸は、数メートルと考えれば

いいのでしょうかね。

 

 

 

地獄のひとは、そのお箸を使って食事をするのですが、

思うように食事ができず、いつも飢えていて、いらいらしています。

 

というのも、その長いお箸を使って、自分で食べ物を自分の口に

持って来ようとするからで、

なかなか、食べ物をその長いお箸でうまく口に運ぶことが

できないからなんですね。

 

 

 

ところが、天国のひとは違います。

 

天国のひとはみな、にこにこと食事を楽しんでいます。

 

それはなぜかというと、天国のひとはみな、その長いお箸を使って、

テーブルの向こう側にいる、ほかのひとに食事をとらせて

あげているからなんですね。

 

自分の食事は、だれかほかのひとが、長いお箸を使ってとらせてくれる。

そのかわり、自分もまた、長いお箸を使ってほかのひとに

食事をとらせてあげる。

それで、みな、にこにこと、食事をとれている、というわけなのです。

 

 

 

なかなかよくできたお話だなあ。

なるほど、そうだなあ。

 

そういうふうに感じる人も、多いかもしれませんね。

 

 

 

自分のことばかりを考えていると、地獄になる。

相手のことを考えて、お互いに助け合っていると、天国になる。

 

このお話は、そういう教訓がふくまれているようにも、感じられる

かもしれません。

 

 

 

でも、天機は、ちょっとひねくれているんですよね。

いつものことですが。

 

 

 

「なんで、長いお箸を使うということが、この世界での

デフォになっているんだろう?

それって、おかしくない?」

 

天機は、そう思ったんです。

 

 

 

このお話の中で、天国のひとがにこにこしているのに、

地獄のひとが苦しんでいるのは、

天国のひとがおたがいに助け合っているのに、

地獄のひとが自分のことしか考えていないから、

なのでしょうか。

 

 

 

天機は、そうは思いませんでした。

 

 

 

天国のひとがにこにこしていて、地獄のひとが苦しんでいる、

その根本的な原因は、

 

お箸が長いこと

 

なのです。

 

 

 

考えてもみてください。

 

もし、この世界でのデフォが、

 

「短い普通のお箸を使うこと」

 

だったら、どうなっていたでしょうか。

 

 

 

たぶん、そのときには、

天国のひとは、その短い普通のお箸で、ほかのひとの口に食べ物を運んで

あげようとするのでしょうが、

お箸が短いために、ほかのひとの口には届かず、

天国のひとは、いつも飢えて、いらいらすることになったでしょう。

 

他方で、地獄のひととというのは、

お箸が普通の短いものですから、

自分の食べたいものを、自分で自由にとって食べることができて、

いつもにこにことしているでしょう。

 

 

 

こうしてみてくると、やっぱり、

最初のお話で、

天国のひとがにこにこしていて、地獄のひとがいらいらしていた原因は、

助け合い精神の有無などにあるのではなくて、

 

長いお箸を使うことを強要されていた

 

という、その1点にありそうです。

 

 

 

ここで、この世界について、ほんとうはどうなのか、

じっくり考えてみましょう。

 

 

 

長いお箸というのは、

おたがいに助け合うのに適しています。

 

が、もっといえば、長いお箸というのは、

 

「望みや願いというのは、自分自身でそれを叶えてはならず、

 だれか他者の温情によって恩恵的に叶えてもらわなければならない」

 

という原理と、密接に関係しているのです。

 

 

 

短いお箸というのは、

おたがいに助け合うのには、適していません。

 

が、もっといえば、短いお箸というのは、

 

「自分自身の望みや願いを、自分自身の努力や工夫、頭脳によって、

 自分自身でつかみにいくことができるのだ」

 

という原理と、密接に関係しているのです。

 

 

 

望みや願いは他者によってかなえてもらうべきだ、とする「長いお箸」。

望みや願いを、自分自身で叶えることができるのだ、とする「短いお箸」。

 

はてさて、わたしたちの暮らすこの世界というのは、

どちらの原理に拠って立つのでしょうか。

 

 

 

ここで、人類の歴史をふりかえってみましょう。

 

人間というのはもともと、狩猟や採集の生活をおくっていました。

 

そこでは、獲物が獲れるのかどうか、木の実などが見つかるかどうか、

というのは、

基本的には、まったくの偶然に拠っていたのです。

 

つまり、運命や、さらにいえば、神に、気に入られるのかどうか、

ということが、成果に影響していたんですね。

 

 

 

ところが、人類は、それでは満足できませんでした。

それはいやだ、と、人間は宣言したんですね。

 

 

 

そこで、狩猟にかわって牧畜を、採集にかわって農業を、

それぞれ始めることになったのです。

 

そして、そこから文明が生まれてきました。

 

 

 

文明は、時をおうごとに発展していきました。

 

人間は、さまざまな願いや望みを持っていました。

いろんな苦しみから逃れたい、とも思っていました。

 

 

 

そんな人間の、望みや願いを叶えてくれたのは、

はたして、なんだったのでしょうか。

 

神や天地に祈れば、その祈りを聞き届けて、

神や天地が「温情的に」恩恵をもたらしてくれたのでしょうか。

 

 

 

そうではない、と天機は思います。

 

人間は、自分自身の望みや願いを、

頭脳の力を用いて、自分自身でつかみとりにいったのです。

 

自分自身の頭脳をつかって、考えて考えて考え抜き、

たとえば、自然界の背後にある法則性を露顕させて、それを、

自分たちの望みや願いのために使役したのです。

 

 

 

そこには、ある種の「神に対する反逆」という姿勢や、

頭脳の活用にみられたような「理の原理」といったものが、

見え隠れしています。

 

 

 

長いお箸というのは、

望みや願いを、他者の温情によって恩恵的にかなえてもらうべきだ、

とする原理と密接に関係していて、

そこでは、他者が自分に対して、肯定的な感情、つまりは、好意を、

持っているかどうかということ、

他者の同意があるのかどうかということが、

事の帰趨を決する重要なファクターになっていたのです。

 

 

 

短いお箸というのは、そうではなくて、

自分自身の望みや願いは、自分自身の頭脳や工夫、努力によって、

自分自身の力でみずからつかみとりにいくことができる、

とする原理と密接に関係していて、

いったん、みずからの頭脳によって、かくれた法則性などが

発見されたならば、

いかに相手の同意や好意がなかったとしても、

そんなことには関係なく、

自分自身の望みや願いを強制的に実現できる、というものなのです。

 

 

 

天機は、このうちの、

短いお箸が象徴する原理のほうに、力強さや、おおきな魅力を感じる

人間なんですね。

 

そして、この世界というのは、

長いお箸の象徴する原理も、短いお箸の象徴する原理も、

双方ともに存在するのであって、

長いお箸の原理だけしか存在しないとか、

長いお箸の原理だけが素晴らしいものだとか、考えるのは、

間違ったことだろうと、天機は思うのです。

 

 

 

この世界には、月もあれば、太陽もあります。

月は英語でMoon、太陽は英語でSunですね。

それぞれの頭文字は、MとSです。

 

相手に対して好感情を持つ、好意を持つ、といった意味をもつ英単語には、

LoveやLikeがあります。

その頭文字は、Lです。

 

自分の理性で物事を考える、道理に従って判断する、といった意味をもつ

英単語として、Reasonがあります。

また、(同意によることなく、相手を)支配する、といった意味をもつ

英単語として、Ruleがあります。

それらの頭文字は、Rです。

 

 

 

アルファベットをAから順番に言っていくと、

「LM」というならびのところと、「RS」というならびのところに

遭遇します。

 

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「L(Love、Like)→M(Moon)」と、

「R(Reason、Rule)→S(Sun)」というならびですね。

 

 

 

天機は、この世界には、月だけでなく太陽もあるように、

同意や好意が重要な意味をもつLMというラインのあらわす原理だけでなく、

頭脳による支配が重要な意味をもつRSというラインのあらわす原理も、

あると思うのです。

 

そして、繰り返しになりますが、天機が好きなのは、

短いお箸の原理であり、太陽の原理であり、RSのラインなのです。

 

 

 

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