この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

「異常者」たちの反逆。

こんにちわ。天機です。

 

 

 

今回は、「異常者」たちの反逆、というテーマで、

現代の世の中の流れを見てみたいと思います。

(今回の記事 約4600字)

 

 

 

戦隊ヒーローもののテレビ番組とか、少年漫画とかでは、

たった1人の「悪役」がいて、

それを、多くの「仲間たち」が、友情をはぐくみながら、

みんなで倒していく、みたいなストーリーがあったりします。

 

あるいは、これは悪い例ですが、

学校とかでときどきある「いじめ」とかだと、

多数の生徒たちが、たった1人の生徒をみんなでやっつける、

みたいなこともありますよね。

 

こういった例であらわれてくる構図というのは、

「たった1人、あるいは、少数者」VS「多数者」

というパターンで、だいたいこういうパターンになったときというのは、

良くも悪くも、勝つのは「多数者」の側なのです。

 

これは、現実の世の中でもそうではないでしょうか。

数の多いほうが勝つ、というのは、よくあることです。

 

そして、圧倒的多数者というのが、ごくごく少数の「敵」や「異常者」を、

やすやすとやっつけていく、というのは、

これまでよくみられたパターンでもありました。

 

 

 

ところが最近、こういったパターンがあてはまらないような例が、

世の中にちらほらでてくるようになりました。

 

どうも、「圧倒的多数者」が「ごく一部の異常者」をやすやすとやっつけていく、

というパターンに、「変調」があらわれているのではないか?

という気がするのです。

 

 

 

例をみてみましょう。

 

 

 

2015年には、いわゆる「大阪都構想」の住民投票がありました。

 

この住民投票を仕掛けた橋下徹という人は、人気もあって、さわやかでした。

 

「都構想を実現しよう」なんていうCMもバンバンうったし、

大阪市役所の公務員連中や、各種の利権団体を「仮想敵」にして、

大阪市民を熱狂させて、やすやすと勝利をつかむはずでした。

 

対して、都構想反対派というのは、寄せ集めで、地味で暗いやつらばっかり

だったのです。

 

 

 

ところが、ふたをあけてみると、僅差で都構想反対派が勝ちました。

 

 

 

2016年にも、今度は世界で、同じようなことが起こりました。

 

まず6月に、EUから離脱するかどうかを問う国民投票が、

イギリスでおこなわれました。

 

EUからの離脱を当初からかかげていた、英国独立党の当時のファラージ党首

などは、頭のおかしなやつと見られていて、

その支持者も同様に見られていたのです。

 

世界中の、有力政治家や、巨大企業のリーダーたちは、こぞって、

EUからイギリスは離脱すべきではない、との論陣を張りました。

 

ヨーロッパの市民たちの中には、

イギリスに、EUに残って、と言わんばかりに、キスの輪をつくったり、

いろいろと明るいパフォーマンスをおこなった者たちもいたのです。

 

 

 

ところが、ふたをあけてみると、勝ったのは、EUからの独立を支持する

側でした。これも、僅差での決着でした。

 

 

 

同年におこなわれた、アメリカ大統領選挙もそうでした。

 

トランプ候補などは、当初は、すぐに消え去るだろうと思われていた

泡まつ候補だったのです。

 

それが、あれよあれよというままに、共和党の候補になり、

大統領選挙での一騎打ちも制して、アメリカ大統領になって、

いま、世界をかきまわしています。

 

このアメリカ大統領選挙も、やはり、僅差で決着しました。

 

 

 

この記事の最初のほうで、自分は、

「圧倒的多数者というのが、ごくごく少数の「異常者」を、

 やすやすとやっつけていく、という従来のパターンに、

 変調があらわれているのではないか?」

という問題提起をしました。

 

ここにあげた事例というのは、まさに、そういった変調をあらわすものに

なっています。

 

そして、そういった変調がなぜ発生するようになってきたかというと、それは、

これまでは、やすやすとやっつけられる側だった、ごくごく少数の「異常者」の

側に、味方する人がそれなりにでてきたために、

圧倒的多数者の側が、簡単には勝てなくなってきた、

からだろうと思うのです。

 

 

 

大阪都構想住民投票において、橋下徹など、都構想推進派が描きたかった

構図というのは、

「ごくごく少数の「異常者」としての、

 大阪市役所の公務員連中、あるいは利権団体」と、

「圧倒的多数者としての、大阪市民」の、対決の構図でした。

 

前者の側が異常な奴らなんだ、大多数の大阪市民の敵なんだぞ、

ということを、橋下徹などは訴えたかったのですが、どういうわけか、

笛吹けど踊らず、

心の中で前者の側に支持を決めた大阪市民は、想像以上に多かったのです。

 

 

 

海外の例も、そうです。

 

EUからのイギリスの独立をかかげるやつなんて頭のおかしなやつなんだ、

トランプなんていうのは頭のおかしなやつで、

「ごくごく一部の」トランプ支持者などというのも、

やっぱり頭のおかしなやつらなんだ、

みんなでそういう「異常な奴ら」をやっつけようよ、

という呼びかけは、どういうわけか、笛吹けど踊らず、

想像以上に多くの人たちが、じつは、

EUからのイギリスの離脱を、そして、トランプが大統領になることを、

支持することを決めていたのです。

 

 

 

これまではなかったような、あたらしい時代の流れというのが、

生じてきているような気がします。

 

 

 

これまでは、圧倒的多数者が、たった1人や少数者を攻撃するときには、

その、たった1人や少数者の側に「異常者」であるというレッテルをかぶせ、

スケープゴートにして、

みんなでこの「異常者」をやっつけようよ、と掛け声をかけると、

ほぼほぼ多数者であるみんなは、それにならって、

たった1人や少数者をやっつけたのです。

 

 

 

でも、この方式が成功するためには、重要な前提が必要です。

 

 

 

それは、

「異常者」とされる側の人数が、十分に少ないこと、

という前提なのです。

 

 

 

こちらがこれから攻撃しようとしている「異常者」の側が、

人数的にだんだんふくらんでくると、

やすやすと倒せるはず、という目論見がくずれ、

逆に、こちらが倒されてしまうこともありうるのです。

 

 

 

大阪都構想を推進する側も、

EUからのイギリスの離脱を阻止したい側も、

トランプを非難する側も、

みな、

対立する相手側に「異常者」というレッテルを張ることで、

大多数をうごかせる、と考えていたふしがあります。

 

ところが、

「異常者」というレッテルを相手に張り付けて、

「圧倒的多数者」 VS 「ごく一部の異常者」

という構図に持ち込もうとする試みは、

あたらしい時代の流れの登場とともに、

じわりじわりと、オールドファッションなものになりつつあるのです。

 

「異常者」とされる側に、

表立っては自分の意見を表明しないかもしれないが、

心の中で静かに、断固として、支持をかためるひとびとが、

徐々に集結しつつあります。

 

そのために、たとえば、

イギリスのEUからの離脱を問う国民投票でも、

アメリカ大統領選挙でも、

事前の世論調査を裏切るような結果が続発しているのです。

 

 

 

「圧倒的多数者」の側が、対立する相手側に「異常者」のレッテルを張ることで

戦いにのぞむ、というのは、

1つの戦略としては、ありかもしれません。

 

しかし、その戦略をとる側が、自分自身でも、

敵はごく一部の「異常者」だけしかいないんだ、と盲信してしまうと、

足元をすくわれることになりえるのです。

 

自分がレッテルを張った「異常者」の側には、

じつは、予想外におおくの支持者が集結しているかもしれません。

 

彼らは、かならずしも表立って声高に、

自分の意見を主張するとはかぎりません。

 

かぎりませんが、心の中では、かたく決意を固めている可能性があるのです。

こういった、「かくれた背後者」の存在を見落とすと、

「多数者」といえども、思わぬ敗北を喫することがあるのです。

 

 

 

このような、「かくれた背後者」が「異常者」の背後で存在感を増すようになり、

世界中で、

賛成と反対が拮抗するような論点、僅差で決着する投票結果、

というのが続発するようになってきています。

 

この事実に、

「圧倒的多数」をもって、ごく一部の「異常者」を蹂躙してやろうという

動機をもつオールドファッションな連中は、困惑しています。

 

なので、

これまでのステレオタイプだった、

「圧倒的多数者」 VS 「ごく一部の異常者」

という「勝利の方程式」が、じょじょに神通力を失いつつある現状の中でも、

いまだにその構図にしがみつくのです。

 

このことは、日本のマスコミにおいても、

お昼のワイドショーとかのコメンテーターの言動などには、

顕著にあらわれています。

 

 

 

ですが、「異常者」の背後には、じょじょに、

「かくれた背後者」が存在感を増すようになってきています。

そのために、「異常者」だけをとりだして、それをたたくだけでは、

圧倒的多数を確保しにくくなっているのです。

 

 

 

最近の日本社会において、そういったことをしめす事例には、

女性専用車両に男性が乗り込んでトラブルになった問題、や、

漫画村などのいわゆる海賊版サイトに関する問題、などがあります。

 

 

 

女性専用車両に反対しているからといって、

実際に女性専用車両に乗り込んでまで反対の意思を表明する男性というのは、

すくなくとも現在の世の中では、依然として極めて少数派であるといえます。

 

しかし、だからといって、

女性専用車両に乗り込んで反対活動をする、ごく一部の異常者」

VS

「圧倒的大多数の、女性専用車両の存在に賛成する男性」

という構図で把握することには、

事実をあやまってとらえる危険性があります。

 

実際に女性専用車両に乗り込んでまで反対活動をする「異常者」の背後には、

女性専用車両に乗り込むことまではしないけれども、

心の中で女性専用車両に反対している、あるいは、おもしろくなく思っている

男性たちという、「かくれた背後者」が存在している可能性があるからです。

 

実際、本音が生のかたちであらわれやすいインターネット上では、

女性専用車両に賛成する男性も、反対する男性も、おたがいに、

相手を圧倒できるほどの圧倒的多数派を構成するには至っていないのが実情です。

 

 

 

漫画村などの、いわゆる海賊版サイトに関する問題についてもそうです。

 

海賊版サイトを運営して収益をあげる、ごく一部の犯罪者集団という異常者」

VS

「正規版の漫画を読みたがっていて、海賊版サイトに怒っている大多数の読者」

という構図で把握することは、危険だと思います。

 

ごく一部の「異常者」である、海賊版サイトの運営業者の背後には、

「無料で漫画が読めるのならば、あわよくばその恩恵にあずかりたいと考える

 ずるい読者」

というのが、「かくれた背後者」として存在している可能性は、十分にあります。

 

 

 

「異常者」だけをとりだして、それをたたき、

「圧倒的な多数者」が順当に勝利をおさめる、という図式が、

成り立たない事例が増えてきています。

 

その背景には、ここまで述べてきたように、

「異常者」の背後に「かくれた背後者」が存在感を増すようになってきた

という事情が見え隠れしています。

この「かくれた背後者」の存在に十分に注意をはらわないと、

思わぬかたちで足元をすくわれることがあるのです。

 

そして、この「かくれた背後者」の行動原理を考える際には、

人間の心の中の、「明るくさわやかな部分」だけではなくて、

利己心や怒りといった、「暗くどろどろとした部分」についても、

そんなものは存在しない、とばかりに切り捨てるのではなくて、

十分に注意をはらっていく必要があるように思います。