この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

意味のない苦行は、やめたほうがいい。

こんにちわ。天機です。

(この記事の字数 約1300字)

 

 

 

みなさんは、意味のない苦行のようなことをした経験はあるでしょうか?

 

天機はあります。

 

 

 

子供のころ、よく大人たちは、

 

頑張って努力するんだ、若いうちの苦労は買ってでもするんだ、

そうすれば成功できるから、

 

なんてことを言っていたかもしれません。

 

 

 

また、日本では、中学生の部活でも、

1年生のうちは球ひろいをさせられたりするなど、

なにかと根性論が重視されるところがあると思います。

 

 

 

そこに流れている考え方というのは、

苦労したり、頑張ったりすることで、本人の根性と精神をきたえれば、

それがやがて、将来成功することにつながる、

というものだろうと思います。

 

 

 

天機は、その考え方には、たしかに一理あるとは思います。

若いうちに自己訓練を習慣づけておくことは、

有用な面もあるとは思うのです。

 

 

 

しかしながら、そこで大切になってくるのは、

自分の現在おこなっている苦労や鍛錬というのが、

ほんとうになにかの達成につながっているのか、

自分はどこに向かおうとしているのか、といったことを、

つねにチェックしておくことだと思うんです。

 

 

 

天機は、「意味もなく」苦労することそれ自体を自分に課し、

それを達成しようとする妙な子供でした。

 

 

 

たとえば、小さいころ、ある飲食店で、

普通のざるそばを頼んだはずなのに、すごい大盛りのざるそばが

でてきたことがありました。

 

天機は、よし、これを食べきってやるぞ、と、なぜだか思って、

非常に苦しい思いをしながら完食しました。

 

 

 

また、こんなこともありました。

 

天機は大学時代、東京に暮らしていたのですが、

どういうわけか、あるとき、

東京23区の全ての区を自転車で通過してやるぞ、という誓いをたて、

実際に実行したことがありました。

 

また、おなじく東京に在住していたとき、

自転車で山梨県まで行ってやる、という誓いをたて、

1日がかりで高尾山のあたりから相模原市のあたりへと抜け、

さらには山梨県境まで行って帰ってくる、といったことをしました。

 

 

 

天機は別段、大食い選手権に出ようと思っていたわけでもなく、

サイクリングを趣味としていたわけでもありません。

 

むかしの天機は、突如として、

自分になにか苦行のようなものを課すことを思い付き、

それを実行する妙な子供だった、というだけのことです。

 

 

 

これがなにか役に立ったか、というと、正直にいって、

全然役に立ってはいないと思います。

 

勝手に大盛りででてきたざるそばなんか、残してやればよかっただけです。

そうすれば、自分がしんどい思いをする必要はなかったのです。

 

長時間をかけて自転車であちこちを走破するのも、

別に自分がそれを趣味にはしていないのなら、

マンガを読むとか、資格試験の勉強をするとかしていたほうが、

個人的には時間を有効に使えたのではないか、と思います。

 

 

 

なにか自分がしんどいことを自分に課そうとしているときには、

はたして、それは本当に意味のあることなのか、

何を目的にしてそれをやろうとしているのか、

といったことのチェックは欠かせないなあ、と、

若いころの自分をふりかえって、自戒とともに思います。