この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

破瓜(はか)の出血の赤と、夕焼けの赤。

こんにちわ。天機です。

 

 

きょうは、「この世界の不思議」系のお話です。

世界の隠れた原理について、考えていきたいと思います。

(この記事の字数 約3200字)

 

目次

 

 

 

 

プロローグ 

さて、女性は通常、はじめて性交をおこなうときにだけ、

処女膜が破れることによる出血があります。

これを、破瓜による出血、と呼んだりします。

それ以降の性交では、出血などないのが普通です。

 

他方で、太陽が西の地平線に沈むころには、

夕焼けがみられることがあります。

 

破瓜による出血の時にも、夕焼けのときにも、

「赤」

という色がひろがりますね。

 

では、この両者の「赤」の広がりには、なにか関連があるのでしょうか。

その両者の背後には、なにか隠れた共通の原理があるのでしょうか。

 

自分は、そんな変なことを考えました。

 

 

 

世界の生成の順番

自分がこのブログでときどき述べることのある、

この世界の生成の順番について、ふりかえってみましょう。

 

まず、この世界には、矛盾というお母さんがいました。

その矛盾というお母さんが、第一子となる男の子をうみます。

この男の子が、理、です。

その男の子は、自分をうんだお母さんである矛盾とまじわり、

それによって、この世界に2番目となる子供がうまれます。

その子供が、生、です。生は、女の子です。

 

つまり、矛盾(母)→理(男の子)→生(女の子)という順番ですね。

 

世界がこのような順番で生成したのだ、ということは、

太古の昔からつづく普遍的な現象でなぞられます。

たとえばそれは、人間のからだのかたちであったり、自然現象であったりです。

 

人間のからだは、上のほうから順番にみていくと、

髪の毛→頭部→胴体(生殖器

とならんでいますね。

 

自分は、

髪の毛(矛盾)→頭部(理)→胴体(生殖器)(生)

というふうに考えています。

 

また、1日というのは、

夜の闇があって、太陽が昇って明るくなり、やがて太陽が沈んでいきます。

つまり、

夜の闇の黒→昼の光の白→夕方の夕焼けの赤

という順番ですね。

 

自分はこれについても、

夜の闇の黒(矛盾)→昼の光の白(理)→夕方の夕焼けの赤(生)

というふうに考えています。

 

 

 

自分は考えました。

 

破瓜の出血のときにも、夕焼けのときにも、

共通して赤い色がひろがるのは、この、

世界が生成した原理と関係があるのではないか?と。

 

 

 

生命という原理の誕生の、前と後、そして、2種類のまじわり

矛盾という母がいて、その母が男の子である理をうみ、

その理と、矛盾である母がまじわって、女の子である生がうまれた、

というふうに話しました。

 

しかし、これは少し正確ではないかもしれません。

 

難しい原理なので、自分もよくわからないのですが、もしかしたら、

矛盾がはじまりに存在し、その矛盾が理をうみ、

その矛盾と理がまじわったときに、

矛盾は、生命体における女性へと変容し、

理は、生命体における男性へと変容したのではなかろうか?

そんなふうにも考えたんですね。

 

生命体における男性と女性、雄と雌がうまれたならば、それ以降は、

その男性と女性、雄と雌がまじわることで、子孫というものをつぎつぎに

うみだしていけばいいのです。

 

現に、この生物界は、基本的にはそのようになっています。

人間をはじめとした多くの動物、そして、植物でも、

男性と女性、雄と雌の区別をもった生き物は、とても多いのです。

 

そうすると、ああ、子孫をうみだすというのは、

お父さんがいて、お母さんがいて、その両者がまじわってうみだされるんだな、

どこまでさかのぼっても、永遠にそのことが続いていくんだろう、

なんて、考えるかもしれません。

 

 

 

ですが、天機は考えたのです。

 

さかのぼって、さかのぼって、究極までさかのぼった、その「極」の部分、

根元の、はじまり、原初となる部分だけは、

ちがう論理がながれているのではないか?と。

 

つまり、

生命体(男)と生命体(女)というのがあって、通常は、

まじわり、といえば、この両者のまじわりのことなんです。

 

しかし、原初のまじわりだけは、この、生命体(男)と生命体(女)、

つまり、

生命体、

というものを、そもそも生み出すことになる、

矛盾と理のまじわりだったんじゃないか?

そんなふうに考えたんですね。

 

 

 

すなわち、まじわり、というものには、2種類あるのです。

 

1つは、生命体、というものが誕生した「あと」の、

生命体(男)と生命体(女)がまじわって、生命体の子孫をのこしていく、

というまじわり。

 

もう1つは、生命体、というものがまだ誕生する「まえ」の、

矛盾と理がまじわって、生命体(生)という原理そのものをうみだすまじわり。

この2つです。

 

 

 

世界の生成の原理と、破瓜の出血による「赤」との関連

さきに、

夜の闇の黒(矛盾)→昼の光の白(理)→夕方の夕焼けの赤(生)

というお話をしました。

 

つまり、黒(矛盾)→白(理)→赤(生)ということで、

生命という原理、生という原理をあらわす色は、赤なんです。

 

この世界での、はじめてとなる原初のまじわりだけは、

通常のまじわりとは異なって、

矛盾と理がまじわって生命という原理をうみだすまじわりであり、

そして、その生命という原理の色は、赤なのです。

 

ゆえに、男女の性交においても、この世界の生成の原理を反映して、

いったん性交をしたあとの、そのあと何回もつづくであろう通常の性交とは

異なって、

そのはじまりとなる、第1回目の、原初の性交のときだけは、

出血というかたちで、生命という原理の色をあらわす「赤」がひろがる

のではないでしょうか。

 

 

 

 

世界の始まりのまじわりにひそむ、悲しみと痛み

そしてさらにつけくわえて、自分はこうも考えたのです。

 

いったん性交をなしたあとの、そのあと何回もつづく通常の性交では、

ふつうは、男女とも、それなりの快楽をえられるはずです。

 

ですが、その最初の性交の時だけは、

女性には、痛みという苦痛がともないます。

 

ということは、もしかしたら、

生命体(男)と生命体(女)のまじわり、という、通常のまじわりは、

めでたくて喜ばしいものかもしれないけれど、

そのはじまりの、

矛盾と理のまじわりという、原初のまじわりだけは、

なにか、悲しい、痛みをともなう物語が背景にあったのではなかろうか?

そんなふうなことも、天機は考えました。

 

生命の原理、生の原理をあらわす色は、赤です。

赤は、英語でREDです。

このREDという英単語は、REDO(やり直す)という英単語によく似ています。

また、赦す(ゆるす)という漢字の中にも、赤、という文字がかくれています。

 

もしかしたら、はじめての、この世界のまじわりは、

とても悲しく、痛みをともなうものだったので、

つぎのまじわりからは、もういちど、世界をやりなおそうとしているのかも

しれない。

天機は、そんなふうにも考えました。

 

 

 

 

世界の生成の原理と、夕焼けの「赤」との関連

では、他方で、夕焼けの赤については、どうでしょうか。

 

矛盾というお母さんが理という男の子をうみ、

その理という男の子と、それをうんだお母さんである矛盾がまじわって、

生がうまれる、という話をしました。

 

自分は思ったのです。

 

朝、東の地平線からのぼってくる太陽というのは、

矛盾というお母さんがうんだ、理という男の子なのではなかろうか?と。

 

つまり、日の出というのは、

矛盾というお母さんが、理という男の子をうんだ、

その出産を、具体的な自然現象でなぞっているのではないだろうか?と。

 

おもしろいことに、英語では、

太陽のことを「SUN」といいますが、これは、息子をあらわす「SON」

と同音なんですね。

 

そして、太陽というのは、東の空にのぼったあとは、

天空を移動して、やがて西の空に沈んでいきますが、

この、西の空に沈む、自分をうみだした大地の中にふたたびつっこんでいく、

というのが、

理という男の子が、自分をうみだした母なる矛盾とまじわる、

ということをあらわしているのではないでしょうか。

 

そして、その矛盾という母と、理という息子のまじわりによって、

生命という原理が生まれ、その色が赤であることから、

太陽が西の空のかなたへ沈んでいくときにもやはり、

その世界の生成の原理を反映するかのように、

空が赤く染まるのではないでしょうか。

 

 

 

そんなことを、天機は考えていました。