この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

好きか、嫌いか? その1

こんにちわ。天機です。

 

 

 

きょうは、「好きか、嫌いか?」について、考えてみたいと思います。

 

 

 

日常生活でも、ネットの世界でも、たまに、

「そういうこと言ってると、モテないよ?」

という発言を、見たり聞いたりすることがあります。

 

ぼくは、この発言に、辟易しています。

 

 

 

 

 

モテる、ということについて、考えてみましょう。

 

男性が女性にモテる、あるいは、女性が男性にモテる、というのは、

おもに、恋愛の場面において、

異性から好感情をもたれる、つまり、好き、って思ってもらう、

ということだろうと思います。

 

 

 

「そういうこと言ってると、モテないよ?」という発言を頻繁にする

ひとというのは、

その人自身が意識しているのか、意識していないのかはわかりませんが、

「この世界では、ひとに、好き、と思ってもらうことこそが大切なんだ。

 好きか、嫌いか、という、人間の心の中の、感情をつかさどる部分こそが、

 至高の原理なんだ」

という思想と前提に立っている、そんな気がするんです。

 

 

 

 

ところで、この、好きか、嫌いか、という点を重視する、というのは、こと、

恋愛の場面だけで、あらわれてくる原理ではないのです。

 

 

 

 

恋愛というのは、相手のことを好きになる、あるいは、相手に好きになってもらう、

ということで成り立つものです。

ここでは、好きか嫌いか、ということが、非常に需要な意味をもちます。

 

 

 

 

でも、ほかにも、たとえば、経済活動や商業の場面でも、

この、好きか嫌いか、という原理は、重要視されるんですね。

 

企業やお店は、製品やサービスをつくって、ひとびとに提供します。

企業やお店の経済活動がうまくいくかどうかは、ひとえに、

その製品やサービスを、ひとびとが気に入ってくれるかどうかということに、

おおきく依存します。

 

なので、経済活動や商業の場面でも、好きか嫌いか、という原理が、

非常におおきな意味をもつことになります。

 

 

 

 

ほかには、どうでしょうか。

 

政治の場面なんかでも、そうですね。

 

現代の世の中というのは、たった1人の国王や皇帝が、ひとびとを治めている、

そんな世の中ではないですよね。

 

現代は、基本的に、世界の多くの国で、民主主義が採用されています。

ここ日本でも、そうです。

 

民主主義の世の中で、政治権力を握っているひと、たとえば、

首相や、大統領や、大臣や、国会議員といったひとたちは、みな、

選挙でえらばれたひとたちなんですね。

 

政治というのは、自分の思い描く政策を実行に移していく、というプロセス

でもあるわけなんですが、

民主主義の社会では、その大前提として、

有権者に選挙で、自分を選んでもらう必要があります。

 

そして、有権者にえらんでもらおうと思ったら、なによりもまず、

有権者に気に入ってもらうことが大切です。

有権者に、好き、って思ってもらう、ということですね。

 

どんなに立派な政策をかかげたとしても、

有権者の、好き、っていう気持ちを勝ち取れない候補者は、

民主主義の選挙では、落選します。

 

他方で、政策なんかあんまりわかっていないような候補者であっても、

たとえば、かっこいいとか、美人だとか、おもしろいとか、

そういうところを有権者に気に入ってもらえれば、

当選することがあります。

 

だから、有権者に気に入ってもらえるかどうか、ということが、

選挙の結果をおおきく左右する、民主主義での政治の世界においても、

好きか嫌いか、という原理は、はばをきかせることになります。

 

 

 

 

ほかには、どうでしょうか。

 

芸能界なんかも、典型的にそうですよね。

芸能界には、いろんな才能をもったひとたちが集まってきますが、

その芸能界で成功しようと思ったら、

人に好かれる、ということが、非常に重要になってきます。

 

かわいいとか、美人とか、かっこいいとか、イケメンとか、

おもしろいとか、しぶいとか、

いろんな人が芸能界にはいますが、

簡単に言えば、人間的な魅力があるから、

芸能界でやっていけてるんです。

 

そして、その、芸能界における人間的な魅力、というのは、

ぱっとみてわかるものでなければいけません。

 

あのひとは寡黙で暗い感じがするけれども、

深く長く付き合ってみると、だんだん良さがわかってくるんだよ、

などといわれるひとは、たぶん、芸能界向きではないと思います。

 

芸能界に生きる人々の、基本的な主戦場は、テレビです。

視聴者は、テレビに映っている姿や言動からしか、

そのひとを判断するすべはありません。

 

ですから、芸能界でうまくやっていこうと思ったら、

ぱっとみてわかる「人間的な魅力」というのが、テレビの画面をとおして

発散されているということ、

そして、それをみた視聴者が、その芸能人のことを気に入ってくれる、

好きになってくれる、ということが、とても大切になってくるのです。

 

なので、芸能界という世界においても、やはり、

好きか嫌いか、という原理は、非常に重要な意味をもってきます。

 

 

 

 

恋愛の世界。商業の世界。民主主義での政治の世界。芸能界。

 

いまみてきたような、これらの世界というのは、みな、

好きか嫌いか、という原理が、非常に重要になってくる世界なんです。

 

その意味で、これらの世界は、共通性をもちます。

おたがいに、親和的なんです。

 

なので、たとえば、

芸能界では、ドラマでもバラエティでも、恋愛をよくネタにしますよね。

また、選挙があれば、特番を組んで、お祭り騒ぎをします。

企業はコマーシャルをさかんにうつでしょう。

 

政治家は、経済が最優先課題だ、なんて、よくいいますよね。

有権者にどうとらえられるかは、政治家にとって重要な関心事であって、

メディアにたいして、慎重に対応します。メディア戦略です。

 

企業はさかんに、恋愛を勧めますよね。

ひとびとが恋愛にいそしんでくれることで、そこに、

お金儲けのチャンスがうまれるからです。

 

 

 

 

こういった、恋愛の世界、商業の世界、民主主義での政治の世界、芸能界、

などが、現代の社会でおおきな地位を占めているのをみると、

あたかも、世界はそれだけなんだ、それだけが世界なんだ、

という気持ちになってしまいますよね。

 

そうすると、どうなるかといえば、

好きか嫌いか、という原理こそが、その原理だけが、

この世界を支配する「唯一の」原理だ、などと思うようになるわけです。

 

すると、そこからさらにどうなるかといえば、

モテるかどうかということこそが、もっとも大切で唯一の原理だ、

という認識になり、ひいては、ことあるごとに、

「そういうことを言っているとモテないよ?」

などと、他人に言ってしまう人間になるわけなんですね。

 

 

 

 

では、つぎに、

はたして、この「好きか嫌いか」という原理が、

ほんとうにこの世界を支配する唯一の原理なのかどうか、

ということについて、考察していきたいと思います。

 

 

 

※ 好きか、嫌いか? という記事のシリーズについては、こちらから↓

 

reasongomainstream.hatenablog.com