この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

いぬやしき、をみた感想。

こんにちわ。天機です。

 

 

 

きょうは、アニメについて書こうと思います。

 

 

 

天機は、基本的に、アニメが好きです。

見た作品は多くはないのですが、アニメというものが好きです。

大学生のころは、よく、TSUTAYAで400円ほど払って、

7泊8日で借りて見てました。

 

 

 

この秋、はじまったアニメで、「いぬやしき」という作品があります。

 

はじめてこの作品を知ったのは、書店ででした。

書店のコミックコーナーに平積みされてる作品の中で、

ジジイが表紙をかざっているのに、興味をもったのです。

 

家に帰って、アマゾンでしらべてみると、けっこうな高評価でした。

作者は、あのGANTZをかいたひとでした。

GANTZは、TSUTAYAで借りて見ましたが、すごくおもしろかったのです。

いぬやしきのPVもYoutubeで見ましたが、やはりおもしろそうでした。

 

そこで、この秋は、いぬやしきを見ることにしました。

 

 

 

まだ、4話しか放送されていませんが、

期待を裏切らない面白さです。

 

 

 

自分が気になったこと。

 

主人公の名前は、犬屋敷壱郎。アンタイヒーローの名前は、獅子神皓。

「い」ぬやしき「い」ちろう、と、「し」しがみ「ひ」ろ、で、

名字も名前も、みな、「イ段」の音ばかりなんですね。

自分は変わり者だから、そういうところがまず、気になりました。

 

 

 

 

自分がこの作品で、気に入ったところ。

 

それは、「たった1人の人間が、圧倒的な力を持っている」というところです。

 

 

 

よく、まんがやアニメの世界では、

主人公と仲間たちが協力して、敵を倒していく、みたいなストーリーが

展開されることがあります。

 

というよりも、むしろそれが王道です。

そういった作品では、主人公も力や強さを持っていますが、

脇役のキャラたちも、それなりに力や強さをもっているんです。

彼らが、仲間となって、ストーリーを盛り上げていくんですね。

 

 

 

いぬやしきは、ちがいます。

圧倒的なパワーを持っているのは、ただ1人だけなんです。

 

ふつうのまんがやアニメでは、みんなで「協力」して敵を倒すんです。

そこに、友情とかが生まれたりするんですね。

 

いぬやしきは、そうではない。

主人公は、べつに、仲間と協力したりはしません。

だって、協力する必要がないくらいに、たった「1人」の持つ力が、

すさまじすぎるから。

 

 

 

むかし、秋葉原殺傷事件という事件がありました。

加藤智大という1人の青年が、たった1人で、自動車とダガーナイフを武器に、

世間そのものに牙をむいた事件です。

 

ふつう、世間そのものに対して、たった1人で挑戦すると、

ほぼ確実に敗北し、破滅します。

加藤も、すぐに警察に捕縛されてしまいました。

この世間では、通常は、数の力を持つものが勝つのです。

 

 

 

ところが、いぬやしきの世界では、

この「数」というのが、なんの意味も持たなくなるのです。

 

犬屋敷壱郎と、獅子神皓のもつ力が凄すぎるので、

「数」のほうが敗北してしまうのです。

 

たとえば、獅子神は、警察に対峙します。

それも、日本の警察権力全体です。

で、勝つのは、獅子神のほうなんです。

 

 

 

そこが、個人的に、すごい痛快でした。

 

その痛快さは、たとえていうなら、昔の時代劇で、

水戸黄門暴れん坊将軍が、多数の敵をばっさばっさとなぎ倒していくときに

感じたような、そんな痛快さです。

 

最近は、時代劇もテレビから消えて、この、

多数者が敗北する、という場面がえがかれることが、

少なくなっていたように思います。

 

でも、変わり者の自分の、心の琴線にふれるのは、

「たった1人が勝ち、多数者が敗北することになる」という世界なのです。