ヤフーのニュースを見ていたら、
JR東海で、台風のために停車していた車内で配られたパンが、
じつは賞味期限切れだった、という指摘が乗客からあった、
というニュースがありました。
5年保存の乾パンで、賞味期限が2か月切れていたそうです。
自分だったらどうするかな、と考えてみましたが、
たぶん、自分だったら、食べないと思います。
世の中には、いろんな人がいます。
意見もさまざまです。
自分は、このブログで、
理の原理と生の原理について書くことがありますが、
自分が信奉し、尊重するのは、
理の原理のほうです。
そして、理の原理というのは、
違いを違いとして存続させることに重きをおき、
生の原理のように、
1つの意見が他の意見を強圧的に飲み込んでしまうようなことを、
否定する立場でもあります。
JRの話にもどすと、JRの車内にいたひとのなかには、
賞味期限が多少切れていたとしても自分はかまわない、
というひともいれば、
賞味期限が切れているのなら自分は食べない、
というひともいたでしょう。
このうち、どちらかの意見が正しくて、
どちらかの意見が間違っている、ということには、
ならないと思うんです。
大切なのは、選択の自由、があることです。
もしかりに、JRが、
「このパンは賞味期限が2か月切れています。
それでも欲しい方は、いらっしゃいますか?」
と問いかけていたならば、
乗客の側でも、自分が欲しいのか、それとも欲しくないのか、という、
自分の考えに沿って、態度を明らかにすることができたはずです。
消費期限と賞味期限はちがう、賞味期限なら、
多少切れていても大丈夫、という意見もあるでしょう。
であるならば、その肝心の消費期限のほうは、
併記されていたのでしょうか。
賞味期限は美味しく食べられる期間、
消費期限は食べてもまずい事態にならない期間、とするならば、
消費期限の記載のほうが、よほど重要なことでしょう。
その記載は、あったのでしょうか。
JRの職員は、たしかに、親切心でパンを配布してくれたのかもしれません。
しかし、親切心をもちながら毒まんじゅうを配布してくれたら、
はたして、その毒まんじゅうを配布してくれた相手に、
感謝の気持ちをもてるでしょうか。
賞味期限の切れた乾パンは、毒まんじゅうではありません。
しかし、賞味期限の切れた食べ物を、
プラスのものと評価するか、マイナスのものと評価するかは、
ひとによって違うものであり、かつ、個人の自由です。
たいせつなことは、
ある意見をもつひとと、それとは異なる意見をもつひと、
その両者が、両者ながら併存できることだと考えます。