子供のころに、こんな経験をしたひとも多いのではないだろうか。
お正月にお年玉を親戚の人からもらったときとかに、
両親が、
貯金しておいてあげるから、とかなんとか言って、
子供である自分には自由に使わせてくれなかった、という、あの経験だ。
それとはちがうが、
先の大戦中にも、日本で徴用されていた、
韓国や中国からきた労働者が、
自分の給料を、勤務先の日本企業に強制貯金させられていた、
なんていう事例もあったと耳にする。
貯金、預金というのは、基本的に、
のちのち自分が使いたいときに、自由に引き出して使うことができるからこそ、
意味のあるものなのである。
預けっぱなしで、使うことができないなら、
はなからそんな貯金など、しないほうがましである。
自己啓発分野での考え方に、「宇宙預金」という考え方がある。
いくぶん、スピリチュアルな感じもする概念だ。
他人に親切にしてあげたり、
他人のため、世の中のために、たとえば寄付をするなど、
いいことをしてあげたりすれば、
その善行は、
「宇宙銀行」というところに記録されていく。
そして、その宇宙銀行の利子は膨大なもので、
あとで、何倍にもなって自分にかえってくる、というものだ。
しかし、この「宇宙銀行」についても、注意が必要だ。
さきに、貯金や預金というのは、預けっぱなしでは意味がない、と書いた。
宇宙銀行や宇宙預金についても、当然、そのことは妥当する。
ATMに行った時のことを考えてみよう。
操作する画面の中には、「お引き出し」や「預け入れ」など、
いろんなボタンがならんでいる。
銀行に預け入れたいひとは、預け入れのボタンを、
銀行から引き出したいひとは、お引き出しのボタンを、
それぞれタッチするはずだ。
そうなのである。
自分の要求をかなえてもらおうと思ったら、
自分の意思をはっきりと表示することが必要なのだ。
そして、このことは、宇宙預金についても成り立つものなのである。
善行をおこなうというのは、
宇宙銀行については、「預け入れ」をあらわす行為になる。
善行をおこない続けるかぎり、宇宙銀行は、
ああ、このひとは「預け入れ」をおこないたいんだな、
「お引き出し」は、まだしたくないんだな、
と、判断してしまうのである。
そうやって、もしかりにそのひとが、
一生、善行をおこない続けたとする。
そうすると、お引き出しのチャンスは、ついに、
そのひとの存命中にはめぐってこないことになる。
引き出されなかった宇宙預金の引き出しは、
そのひとの来世に持ち越されるのだ。
それでもいい、そのほうがいい、というひとも、なかにはいるだろう。
しかし、そうではなくて、
自分は、自分の存命中に、宇宙預金を引き出して、
自分の幸福のために使いたい、というひとは、
そのことの意思表示を、はっきりとこの宇宙に対して示す必要がある。
そして、その意思表示になる行為というのが、
いちど、善行をすっぱりとやめてみる
ということなのだ。
そうすれば宇宙銀行は、
ああ、このひとは「預け入れ」から「お引き出し」に転じたんだな、
と判断して、
「わかりました。長い間の預け入れ、ありがとうございます」
と言って、払い戻しに応じてくれるのである。