男性差別、ときどき、世界への反逆。

この世界についての非主流的な意見と、男性差別についての考えをすこし。

トランプ大統領の発言を支持する。

アメリカで、

南北戦争時代に活躍した、南軍司令官たちの像を撤去することに反対した

白人至上主義者たちが、

像撤去に反対する抗議集会を開こうとし、

この抗議集会に反対した、反差別主義者とのあいだで小競り合いとなって、

死傷者がでた事件に関連して、

トランプ大統領は、

双方に問題があった、と発言した。

 

自分は、このトランプ大統領の発言を支持する。

 

自分は有色人種のひとりであるから、正直言って、

白人至上主義者の存在には、心穏やかでいられるものではない。

 

しかしながら、

白人至上主義者たちが、暴力的な手段に現実にうったえて、

現に有色人種たちを排斥する現実的な行動にでたのならばともかく、

どのような思想信条をいだくかに関しては、まったく自由なことだ。

 

自分とは異なる肌の色や人種、文化、習慣、言語を持ったひとびとを、

積極的に受け入れたり、彼らと仲良く交流したりすることを良しとする

ひとびともいれば、

自分たちの固有の国土や文化、習慣、言語、民族性といったものを愛し、

尊重し、

他の人々とは違うのだ、というその違いに重きをおき、

自分自身のルーツに誇りをもって、

他者との間に一線を画そうとするひとびともいるのである。

 

前者がオープンであるがゆえに肯定的にとらえられ、

後者が「閉鎖的」であるがゆえに頑なである、ととらえられるとすれば、

それは、一面的であって真実をとらえたものではないだろう。

 

橋には橋の役割があってひとびとの幸せに奉仕し、

壁には壁の役割があってひとびとの幸せに奉仕しているのである。

 

壁さえあれば橋などいらない、という意見がおかしい意見であるのと同様に、

橋さえあれば壁などいらない、という意見もおかしいものだろう。

 

白人至上主義者も、それに反対する反差別主義者も、ともに、

思想信条の自由を享受する権利を享有する。

 

この世界には、自分と、自分とは異なる他者が存在する。

自分自身とは異なる他者が存在するということを認め、尊重する、

というのが理の本質であって、

自分は、理の持つ価値を高く評価するものである。

 

違いこそが大切なのだ。

違っているから、いいのである。

 

ことさらにその違いをなくそうとしたり、

みんなひとつだ、同じなんだ、という意見をふりかざしたりするひとは、

一見、だれもが幸せになれるユートピアを目指しているように見えながら、

実際には、暴力的ですらある。

 

違いをみとめるということは、

自分とは違う他者が存在する可能性を受け入れる、ということだ。

これができない人間の目には、

自分とは異なる他者というのは、なくしてしまわなければいけない

異常者にしか見えなくなる。

 

アメリカの例でいうならば、

白人至上主義者もいれば、反差別主義者もいるのである。

反差別主義者のほうが絶対的に正しくて、

白人至上主義者のほうはなくしてしまわなければいけない異常者なのだろうか。

 

そんなばかな。

であるからこそ、白人至上主義者に対しても、反差別主義者に対しても、

公平な見方をしなければいけないのである。

公平、ということが、とても大切な価値なのだ。

白人至上主義者だけを非難し、反差別主義者の側をまったく非難しないのならば、

それは、まったくもって、公平なことではないだろう。

現実問題としても、今回の事件で暴力的な行為にでた人間は、

双方の側にいたのである。

 

 

朝日ののぼってくる前の、まだ世界が闇に包まれている真夜中には、

個々の存在にはいまだ輪郭がなく、独自性を主張しない。

 

朝日がのぼる時間が近づくと、まずはじめに、

ぼんやりと地平線があらわれる。

区別のはじまりだ。

 

そして、光がこの世界にあらわれると、

ひとも、木々も、動物も、建物も、橋も、船も、みなが、

輪郭をもって、

わたしは、ほかとは違う存在なんだ、と主張し始めるのだ。

 

自分は、中立的な、無色な意見を主張する者ではない。

光と、理の原理を信奉し、それに重きをおいた主張をする者である。

 

その自分からすれば、

みんな同じなんだ、とか、世界は1つなんだ、とか、

だれもがオンリーワンなんだ、とか、みんなで手をつなごう、とか、

みんな仲良くなれる、とか、世界はハッピーになれる、とか、

そういうことを言うやつは、

うさんくさくてしかたがない。

 

現実に対する諦観からそう言っているのではない。

上に述べたようなことを言うやつの信奉する原理と、自分の信奉する原理は、

本質的に激しく対立するものだから、そう言っているのである。

 

 

 

トランプを批判するやつらは、往々にして、

トランプ一人だけがおかしいんだ、異常なんだ、

ということにする傾向がある。

 

この世の中には、たった1つとか、たった1人とか、

そういうのを攻撃して、

多数者の側に正義がある、ということにしたい連中がいるものだ。

 

しかし、そういう連中の目論見は、

だんだんと、うまくいかなくなりつつある。

もしかしたら、

冥王星がしだいに水瓶座に接近しつつあることで、

時代の流れが変化しつつあることと、関係があるのかもしれない。

なにしろ、冥王星水瓶座にやってくるのは、

じつに240年ぶりのことなのだ。

前回、水瓶座冥王星があったときというのは、

フランス革命や、アメリカ独立戦争が起こったときである。

 

トランプのことに話をもどそう。

トランプを批判するやつらは、トランプ1人をおかしいやつ、

ということにしたいようだが、現実はそうではない。

 

トランプの背後には、

現在でも、アメリカ国民の3割から4割をしめる、

トランプ支持者がいるのである。

トランプを批判するということは、

かれらトランプ支持者と対決する、ということにほかならない。

 

報道ステーションという番組も、

そのキャスターである富川は、さかんに、トランプをおかしいやつに

仕立て上げたいようだが、

現実をうまくとらえているとはいえない。

 

いま、世界で起こっていることは、

これまでの歴史にはなかったような、あたらしい潮流である。

そして、その状況を分析するさいに、もっともやってはならないことは、

いままでの潮流がただしくて、

いま起こっている潮流は間違っているのだ、などといった、

硬直した思考スタイルをとることなのだ。

 

事実を、ありのままに、冷静に、偏することなく、

分析する必要がある。