男性差別、ときどき、世界への反逆。

この世界についての非主流的な意見と、男性差別についての考えをすこし。

いちばん高い山と、いちばん深い海。

今日、8月11日は、日本では「山の日」とされる祝日にあたっている。

最近できた祝日だ。

「海の日」があるのに、「山の日」がないのはおかしい、

なんていう意見も後押しになって、できたみたいだ。

 

きょうは、この「山の日」にちなんで、

海と山について考えてみよう。

 

世界で一番高い山は、エベレストで、その高さは8848メートルである。

世界で一番深い海は、マリアナ海溝にあるチャレンジャー海淵で、

その深さは10920メートルだということだ。

 

こうしてみると、

いちばん高い山の高さよりも、いちばん深い海の深さのほうが、

数値としては大きい、ということがわかる。

 

山というのは、その雄々しい姿から、男性的な存在、とみられることがある。

それに対して、海というのは、そのすべてを包み込むような

懐の深さから、母、あるいは、女性的な存在、とみられることがある。

 

この考え方が真実をついているのならば、

男性的な存在である山の高さよりも、女性的な存在である海の深さのほうが、

その数値はおおきい、ということになりそうだ。

つまり、女性的な力のほうがおおきい、ということになりそうなのである。

 

 

でも、ほんとうにそうだろうか。

 

べつのブログ記事で書いたのだが、

この世界において、天空というのは男性の体を、大地というのは女性の体を、

それぞれあらわしている、と自分は勝手に考えている。

 

ここで、つぎのように考えてみよう。

 

男性の体である天空の一部が、女性の体である大地へと、

ぐぐーっとめりこんだとする。

すると、大地のその場所には、おおきな穴(兌)があくことになるよね。

 

この大地にあいた大きな穴は、なにもない穴のまま保たれるかといえば、

そうではない。

 

水というのは、下のほうへ、下のほうへと流れ下る性質があるから、

大地にそのような大きな穴があいたとなれば、

そこに水がたまっていくことになる。

するとそこはやがて、海や湖、沼といったものになるだろう。

 

つまり、海は、はじめから海であったのではなく、

そもそもの成り立ちとしては、

男性の体である天空が、その天空の一部が、

大地のほうへとむかってめりこんでいき、穴をつくるという、

その作用がもとになってうまれたものなのである。

すなわち、海というのは、女性的なもの、と一般的には考えられているかも

しれないが、じつは、男性的な作用の結果、生じたものなのだ。

 

それに対して、山はどうか。

 

山というのは、地面の一部が、おおきく天へむかってふくらんだものである。

つまり、

女性の体である大地の一部が、男性の体である天空へと向かって、

おおきくふくらんだものなのだ。

すなわち、山というのは、一般的には、男性的なものと考えられているかも

しれないが、じつは、女性的な作用の結果、生じたものなのである。

 

このように考えてきたならば、もう、おわかりだろう。

 

世界でいちばん高い山の高さが、世界でいちばん深い海の深さにおよばない、

というのは、つまりは、

女性的な作用の強さは、男性的な作用の強さにはおよばない、

ということを、示唆しているのである。

 

余談になるが、こんなことを考えてみても、おもしろいかもしれない。

 

男性の体である天空の一部が、女性の体である大地にめりこんで、海ができた。

女性の体である大地の一部が、男性の体である天空へと向かってふくらんで、

山ができた。

 

では、

男性の体の一部が女性の体にめりこむとは、そして、

それに呼応するかのように、女性の体の一部がふくらむとは、

いったい、なんのことを示しているのだろう?

 

こんなことを深く考えていけば、やがて、

1日の始まりに火のかたまりである太陽がのぼってくる、ということ、

雷は大地に到達すると、大地において火災が発生することがあるということ、

山の中には火山が存在するということ、

これらがだんだんと脳みそのなかでつながりだし、

通常でない思考がひらけてくる。

 

補足。

ちなみに、世界で一番高い山の高さである8848メートルと、

世界で一番深い海の深さである10920メートルについては、

8848:10920 ≒ 5:6 

という関係がなりたつ。

 

女性的な作用には5という数字が、

男性的な作用には6という数字が、どういうわけかは知らないが、

それぞれ符合しているんだね。