男性差別、ときどき、世界への反逆。

この世界についての非主流的な意見と、男性差別についての考えをすこし。

男女は平等ではない。男性が女性に優越する。

近代市民革命期においては、男女が平等だとする思想が表明されたが、

それは、

この世界の真理を洞察できなかったことに由来する、

誤った考え方である。

 

男女は、決して平等ではない。

男性が女性に優越し、女性は男性の支配に服するものである。

 

自分とは異なる他者が存在することを認め、尊重するのが、理の原理だ。

それに対して、

この自分自身が生きるために他者を犠牲にする、というのが、生の原理だ。

 

人間には、心と体がある。

理が心と結びついたものが、理心であり、男性の心だ。

生が心と結びついたものが、生心であり、女性の心だ。

理が体と結びついたものが、理体であり、女性の体だ。

生が体と結びついたものが、生体であり、男性の体だ。

 

理と生は、それぞれ、心と体に結合するのだが、

その結合のしかたに関して、

男性の場合と女性の場合とで、ねじれに似たような相違がある。

 

そして、理心は生心に優越し、理心は生心を支配する。

さらに、生体は理体に優越し、生体は理体を支配する。

 

ゆえに、理心生体を基本構造とする男性は、

生心理体を基本構造とする女性に優越し、男性は女性を支配することになる。

 

この原理は、人間の心と体だけに関係するのではなく、

自然界のおおきな現象にも関係する。

 

理と結びついた心である理心は、人間においては男性の心であり、

自然界においては、火のかたまりである太陽をあらわす。

 

生と結びついた心である生心は、人間においては女性の心であり、

自然界においては、水のかたまりをあらわす。

 

理と結びついた体である理体は、人間においては女性の体であり、

自然界においては、大地をあらわす。

 

生と結びついた体である生体は、人間においては男性の体であり、

自然界においては、天空をあらわす。

 

以上を整理すると、以下のようになる。

 

理心=男心=太陽

生心=女心=水

理体=女体=大地

生体=男体=天空

 

そして、明らかなことであるが、

太陽と天空はあわせて天にあり、水と大地はあわせて地にある。

そして、天は地の上位に位置する。

 

このことから、

理心と生体をあわせもつ男性は、生心と理体をあわせもつ女性よりも、

上位に位置することがみちびかれる。

 

夜空に月が輝いていて、それがどれだけ美しくみえたとしても、

所詮は太陽の光を借りて輝いているだけであり、みずから輝いている

わけではない。

 

西洋に発祥した男女平等の思想は、一見したところ、

とても美しいものに見えるかもしれないが、

偽りの考え方である。

 

天と地の間には、1つの境界線である、地平線がある。

その地平線をさかいにして、上には天が、下には地がある。

地は天をお手本にして成立したものであり、天そのものではない。

そのような地が、自分こそが正統であると騙るなど、

烏滸がましいにもほどがある。

 

鏡というのは、鏡のこちらがわに実物が、鏡の向こう側に虚像がある。

そして、どういうわけか、鏡に映すと、左右が反転するのだ。