男性差別、ときどき、世界への反逆。

この世界についての非主流的な意見と、男性差別についての考えをすこし。

建設現場に「女性用」トイレ?

建設作業現場に女性が作業員として進出する流れをうけて、

女性への訴求力を高めるために、

快適な女性用トイレを設置する動きが加速している、という。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

でも、これっておかしくはないか?

 

いままでは、建設作業現場で働いていたのは、おもに男性で、

汚いトイレでも文句をいわずに頑張ってきたんだろう。

それが、女性が入ることになると、綺麗なトイレでなきゃいやだ、なんて、

女は、お姫様かなにかですか?

 

不潔なトイレが嫌で、綺麗なトイレのほうがいい、って思ってるのは、

なにも、女にかぎったことではない。

男性も、心の中ではそう思っているのだ。

 

でも、男性は、綺麗なトイレじゃなきゃやだやだ、なんて、

不平不満を口には出さないだけである。

じっと、我慢して、黙々と働いているのだ。

 

ところが女は、男性が辛抱しているその同じトイレに、我慢ができないらしい。

ようするに、辛抱する能力に欠けているのである。

これはつまり、労働力として考えた場合に、

女のほうが男性よりも劣っている、ということの、なによりの証左だろう。

 

もともと、公共のトイレでも、百貨店のトイレでも、

男性用トイレと女性用トイレは、基本的なつくりは同じだった。

 

男性用トイレには小便器があるが、女性用トイレには個室だけしかない、

といった、基本的な違いがあるだけだったのである。

 

女性用トイレには、男性用トイレには存在しないような利便性がある、

といったことは、なかったのだ。

それが、正常なあり方である。

 

ところが最近になって女は、

女性用トイレには男性用トイレにはない利便性を設けよ、などと言いはじめた。

じつに、めんどくさい存在である。

 

女性には、女性特有の性質がある。

たとえば、女は化粧をする。男性は通常、化粧などはしない。

 

この点を考慮すれば、

女性用のトイレに、化粧に適したような姿見を設置するなどの工夫をすることには、

一定の合理性がある、と考えることも不可能ではない。

 

ただ、建設作業現場のトイレに話を戻して考えれば、

トイレにおいて一般的な清潔さが保たれているということ、

和式の便器ではなく洋式の便器が設置されているということ、

建設作業で使うヘルメットをかけるフックが設置されているということ、

除菌シートが設置されているということ、

あたたかくなる便座が設置されているということ、

こういったことは、女だけではなくて、

男性の需要もあるものであり、男性をも快適にするものであり、

男性にもそれを享受する正当な権利があるものである。

端的に言えば、女だけに必要なものではなくて、男性にも必要なものだ。

 

このことから考えて、

建設現場において、従来よりも快適さを増したトイレを設営することは

かまわないが、

それを女だけに限って使用させることは、

絶対に許されないことだ。

 

快適さを増したトイレを設営するのならば、

男性用トイレも、女性用トイレも、等しく快適さを増すようにするのが

スジだろう。

 

コストの関係からそれができない、というのであれば、

快適さを増した女性用トイレというのは、端的に言えば、

金食い虫、ということになる。

 

そして、はっきり言ってしまえば、そんな金食い虫になるような

トイレがなければ働けないような女というのは、

会社にとっては、お荷物だということだ。

会社が利潤を追求するうえで、その足を引っ張っているのである。

 

記事の中では、人手不足の中では女性の労働力を確保することが必須の課題

であり、そのためにはトイレを快適にすることが云々、

といったことも述べられていたが、それもおかしな話だ。

 

考えてみたら、わかりそうなものだ。

女性の労働力が確保されるいっぽうで、男性の労働力が失われるとしたら、

どうだろう?

 

もしかりに、女性がどんどん働きだすいっぽうで、男性がつぎつぎに

辞めていったら、人手不足の状況は、どうなるんだろうね?

 

実際には、そんなことは起こらないだろう。

 

しかしながら、男性が働くのは当然であって、

女性が働くのは、なにか特別に価値あること、特別に素晴らしいこと、

と考えるのは、歪んだ間違った考え方であることは、明らかだ。

 

この社会に暮らしている一員である以上、

男性であれ、女性であれ、なんらかのかたちで労働して、

社会に貢献しなければいけないのは、当然のことである。

 

一方的に労働が当然視されるひとがいるいっぽうで、

お客様のような扱いを受けて平然としている腐った層がいるのならば、

そんな社会は早晩、崩壊することになるだろう。

 

男性の労働力も、女性の労働力も、等しく価値のあるものだ。

女性の労働力を必要としているからといって、

現に今存在している男性の労働力は、当然のものになるわけでもなんでもない。

 

労働力を確保したいのならば、

男性の労働者にも、女性の労働者にも、

公平に目配りすることが大切である。

 

いっぽうの犠牲の上に他方をお客様のようにあつかうことは、

社会に深刻な歪みをもたらす。