男性差別、ときどき、世界への反逆。

この世界についての非主流的な意見と、男性差別についての考えをすこし。

おちんちんとおまんこの、本質的な違いーその1。

おちんちんは、男子についている。

おまんこは、女子についている。

 

おちんちんは、きのこのようなかたちをしている。

おまんこは、あわびのようなかたちをしている。

 

ふだん、慣れ親しんでいるおちんちんとおまんこだが、

両者の間にはいったい、どのような本質的なちがいがあるのだろうか。

 

 

自分は、両者の間にある本質的なちがいというのは、

おちんちんが「快楽」と結合しているのに対して、

おまんこは「苦痛」と結合していることだ、と思う。

 

男子は、成長すれば、射精をするようになる。

そして、射精をすることは、快楽だ。

 

もちろん、射精をしたいのにできないというのは、たしかに苦痛ではある。

好みの女の子に性的にアクセスできないために苦痛を感じて、結果、

性犯罪に至るような男性も、たしかに存在はする。

 

しかし、その種の苦痛というのは、

なにか望ましい状態があって、自分がいまだその状態に達していないときに

一般的にみられる苦痛である。

 

おなかがすいて、食べ物を食べたいのにそれが実現しないときは、

たしかに苦痛である。空腹や、飢餓感といった苦痛だ。

 

しかし、その手の苦痛は、食べ物を食べれば解消する。

そして、寿司やステーキといった美味しい食べ物を食べることは、

ひるがえって快楽にもなりうるものだ。

 

射精に関しても、それと似たようなところがある。

射精したいのにできない、あるいは、性欲があるのにそれが実現できず、

性的な欲求不満にある、といった状態は、たしかに苦痛である。

 

しかし、射精ができてしまえば、その苦痛は解消するし、

たとえばソープランドなどで美人と性交することができれば、

おおきな快楽をえられる。

 

以上のことから考えると、おちんちんという、射精をつかさどる男子の器官は、

苦痛のみと結びついているとはいえず、むしろ、

おおきな快楽と結びついている、といえそうだ。

 

 

 

では、おまんこは、どうだろうか。

 

おまんこも、たしかに快楽と結びついている面はある。

おまんこのなかには、クリトリスという器官があり、男子のおちんちんと

同じように、興奮によって勃起する。

そして、男子と同じように、性的なオーガズムを感じることができるのだ。

その意味では、おまんこもまた、快楽と結びついている、と言えそうではある。

 

しかしながら、おまんこは、おちんちんとは違って、

非常に重大な苦痛と結びついているのだ。

 

たとえば、成長した女性は、ほぼ月に1回、生理がおとずれる。

ぼくは男性なのでよくわからないが、

生理は、肉体的にも精神的にも、一定期間、女性にはなはだしい苦痛をあたえる

ようだ。

 

そして、この苦痛は、さきほどの、

おなかがすいているのに食べられない苦痛、とか、

射精したいのにできない苦痛、あるいは、美女とまぐあいたいのにそれが

できない苦痛、などといった苦痛とは、おおきく異なるのである。