男性差別、ときどき、世界への反逆。

この世界についての非主流的な意見と、男性差別についての考えをすこし。

人間と快楽。

自分の考える人生の勝利者とは、

人生を、全体を通してみたときに、自分にあたえた快楽の総和

を最大にできた人間、

だと思う。

 

人生を全体を通してみたときに快楽の総和を最大化する、というのは、

けっこう慎重さを要する作業だ。

目の前に可愛い女の子がいるからと、押し倒してエッチなことをはたらけば、

その瞬間の快楽は大きくなるかもしれないが、

その後逮捕され、裁判にかけられ、服役するであろうことを考えると、

長い目で見たときの快楽の総和は、減ってしまうかもしれない。

 

苦痛と快楽は、正反対のものである。

服役のような大きな苦痛が人生に登場すると、それだけで快楽はおおきく減る。

大きすぎる苦痛を登場させないことが、

快楽を最大化していくうえでは、ひとつのポイントになる。

 

受験勉強をいっしょうけんめい頑張って、いい大学に入り、いい会社に入って、

お給料をたくさんもらえるようになれば、

受験勉強のときはとてもしんどいので、そのときは苦痛が大きくなるかも

しれないが、

のちのち多額の給料を自由に使って自分に快楽をあたえていくことが

できるかもしれない。

 

とはいうものの、あまりにも有名すぎる超一流大学を目指すと、

その受験勉強のときの苦痛がとても大きくなる。

同時に、人並みな楽しい青春が送れなくなってしまって、その点でも快楽が

減るかもしれない。

だからこそ、快楽計算は慎重を要するのである。

 

人間、あまりにも大きな苦痛を味わったり、あるいは、

灰色の青春時代をおくったりしてしまうと、

なんだか自分ばかりが損してしまったような気持ちになって、

あとあとの人生でそれを取り返そうとして、人間がずるくなってしまう

ことがあるものだ。

 

人間がずるくなってしまったら、そのひとが悪い、ということになるのか

といえば、そう単純なものでもない。

人間がずるくなってしまった原因が、あまりにもつらすぎる苦痛を受けた

ことにあるのであれば、

強いて悪者をあげるとすれば、それは、そのような過酷な運命をそのひとに

あたえた天ということになろう。

 

 

 

快楽は、ふつう、お金がたくさんあればあるほど、自分にたくさんあたえる

ことができるようになる。

100万円持っているひとよりも、1000万円持っているひとのほうが、

よりたくさんの快楽を自分にあたえることができるものだ。

でも、この原則は、どこまでも妥当するものであるかといえば、

それもあやしいのである。

 

ソフトバンク孫正義さんなんかは、1兆円を超える資産を持っている

と言われる。

1兆円というのは、100万円の100万倍だ。

ということは、孫さんは、100万円を持っている人の100万倍の快楽を

自分に与えることができるのだろうか。

 

たぶん、そうはならないだろう。

1万円で、ファッションヘルスに1回行けるとする。

すると、1兆円持っている孫さんならば、1億回行けることになる。

1億回行こうと思ったら、1日1回のペースで行ったとしても、

25万年以上かかるだろう。

とうてい、生きているうちに行きつくすことは、無理だ。

 

コップ1杯の水は、1人の人間ののどをうるおすだろう。

浴槽1杯のお湯は、1人の人間の体をあたためてくれるだろう。

でも、ダムいっぱいの水は、

1人の人間だけでその効用を味わい尽くすことは、できないのだ。

 

お金はふつう、たくさんあればあるほど、それで味わえる快楽もおおきく

なるものだ。

が、それにも限度がある。

大きすぎるお金というのは、そのお金に見合う快楽を、自分だけに正確に

与えつくすことができない。

何十億円もあれば、ロケットに乗せてもらって、宇宙旅行ができる権利を

買うことができるかもしれない。

それはたしかに、一般人がふつう経験できないという意味で、

希少な経験になりうるものだろう。

しかし、それが「快楽」であるかといえば、話はべつだ。

ロケットの宇宙旅行は、めずらしい経験、面白い経験ではあるかもしれないが、

快楽ということでいえば、

数万円ほど払ってソープにでも行ったほうが、よほど快楽になるだろう。

 

珍味、というのも、その類である。

中華料理のフルコースといったものは、数万円からするものも多い。

珍味、という名前がついているのも、それを食べるという経験が、

通常は味わえないような珍しい経験だからだろう。

でも、その珍味を食べることは、ほんとうに快楽になるのだろうか。

自分なんかは、1000円ほどのラーメンギョウザ定食でも食べている

ほうが、よほど美味しいし、快楽も大きいように思う。

数万円の中華のフルコースは、1000円のラーメンギョウザ定食の

数十倍の快楽を与えてくれるかといえば、まず、そんなことはないだろう。

 

お金というものは、通常は、増えれば増えるほど、

より大きな快楽を自分にあたえてくれるものだ。

ところが、ある限度を超えてお金が増えていくと、

そのお金に見合った快楽を手に入れることが、だんだんと難しくなってくる。

その意味で、効用は逓減していくといえる。

そこで、途方もない大金持ちなんかは、慈善事業にお金を出したりなんか

するわけだけれども、

あれなんかは、増えすぎたお金を自分の快楽に正確に転化できなくなった

悲哀を感じさせるものである。