男性差別、ときどき、世界への反逆。

この世界についての非主流的な意見と、男性差別についての考えをすこし。

営業職の男性と、社内の冷房温度。

以前、このようなことが話題になったことがあった。

 

営業職で外回りをしてきた男性社員が、外が暑かったものだから、

会社に帰ってきたら、冷房の温度を下げる、というものである。

すると、その下がった冷房の温度は、

もともと社内で内勤の仕事をしていた、おもに女性社員にとっては、

いささか寒すぎる、というものだ。

 

この問題を、どう考えたらいいだろうか。

外回りの男性に合わせて低く設定するのがいいのか、それとも、

内勤の女性に合わせて高く設定するのがいいのか。

両者の利害が対立し、そのあいだに、どのようにバランスをとっていくか、

という、問題であるかのように、一見したところ、みえる。

 

しかし、この問題を考える際には、

両者の味わっている苦痛を均衡させなければならない、

という観点が必要だろう。

 

営業職の外回りの男性社員は、真夏の酷暑の中、外回りをしてきている。

つまり、それは苦痛である。

ところが、その同じ時間に、内勤の女性社員は、社内で仕事をしている。

ということは、内勤の女性社員は、酷暑にさらされるなどといった、

特段の苦痛は、なんら味わっていないことになる。

この場合に、営業職の外回りの男性が外から帰ってきたときに、

冷房の温度を内勤の女性に合わせたとしよう。

すると、営業職の外回りの男性社員が社外にいるときと、社内に帰って

きたあとで、それぞれの快不快がどのように変化するかというと、

【営業職の外回りの男性社員】

苦痛→普通

【内勤の女性社員】

普通→普通

となる。

つまり、この場合には、営業職の外回りの男性社員のほうにだけ、

一方的に、苦痛が残存することになるのだ。

 

男性社員の苦痛と、女性社員の苦痛、

男性社員の快適さと、女性社員の快適さは、均衡させることが、

公平の観点からの要請だろう。

外の酷暑で苦痛を味わったのならば、社内に帰ってきた際には、

相対的に低い温度での冷房を味わうことで、その苦痛を緩和する快適さを

与えてあげる。

その低い温度は、内勤の女性社員にとっては苦痛になるかもしれないが、

それは、

酷暑下で外回りをしてきた男性社員の苦痛とバランスされるのである。

つまり、男性社員と女性社員、どちらか一方だけにしか苦痛が存在しない、

という状態は、

公平の観点からはよろしくない、ということなのだ。

 

それに、現実問題として考えてみても、

一時的に下げられた冷房温度が、その先ずーっと継続されるとは、

かぎらないのである。

外回りの男性社員は、外が非常に暑かったために、

社内に帰ってきたときくらいは、冷気のシャワーを浴びたいのだ。

だとするならば、そのときだけ一時的に温度を下げるというのでも、

いいのではないだろうか。

 

どうしても、男性社員、女性社員のあいだの公平をたもちたいのならば、

中をとる、という方法もある。

男性社員の希望温度が18度、女性社員の希望温度が24度であるならば、

中をとって21度に設定する、といったようなことだ。

 

なんにせよ、大切にしなければいけないのは、公平の観点である。