イエスマンばかりを周囲に集めるような経営者がいる会社は、
発展することがない、などといわれることがある。
これには一理ある。
適切な判断を下していくためには、いろんな意見が必要だ。
たとえ、自分の意に沿わないような意見であったとしても、
会社の発展のためには有益な意見であるかもしれない。
イエスマンばかりでまわりをかためると、
そういった有益な意見を得るチャンスをみずから閉ざしてしまうことにもなる。
だから、
自分の意見に反対の意見をのべるひとも、一定数は、必要だ。
ただし、ここで大切なのは、
反対意見を述べる人も、
一定数は
必要だ、ということである。
もし、まわりの人間が、全員が全員、いつもいつも反対意見しか述べない、
とすればどうだろう。
物事は、逆の意味で全然良い方向にはすすんでいかないだろうし、
なにより、会社であれば、
経営者の気持ちも折れてしまうだろう。
人生においては、過ぎたる順境も、過ぎたる逆境も、
ともに、そのひとに害悪をもたらすものである。
同様に、他人の意見に接するばあいにも、
まわりがイエスマンばかりではよくないが、それと同様に、
まわりが自分の批判をする人間ばかりでもよくないのだ。
自分に賛同する意見、自分を批判する意見、その双方が、
それぞれ適度にあったほうがいい。
自分をへし折るような批判ばかりが目につくときには、
ときには、そのような批判を容赦なく切り捨てることも、
自分自身のためには必要なことだ。