男性差別、ときどき、世界への反逆。

この世界についての非主流的な意見と、男性差別についての考えをすこし。

ゆずり「あう」ことが大切。

人と人とのつきあいのなかでは、

ゆずりあいが大切だ、なんて言われることがある。

社会がうまく、円滑にまわっていくためにも、

ゆずりあいは、大切なものだろう。

 

そのゆずりあいに関して大事なことは、

「おたがいにゆずりあう」ということだ。

 

誰かが誰かにゆずったならば、今度は、

ゆずられた誰かがゆずった誰かにゆずる。

 

一方だけが、一方的にゆずってばかりとか、

一方だけが、一方的にゆずられてばかりとかいうのは、

不健康なありかただろう。

 

だれかになにかをゆずってあげると、

ゆずられたほうは、たいてい、ニコニコするだろう。

 

たいせつなのは、

相手がいつもニコニコするばかりでは、おかしい、ということだ。

たまには、自分がニコニコすることがあってもいい。

 

逆もしかり。

自分がニコニコするばかりでなく、

相手がニコニコすることもあっていい。

 

社会で生きていく中では、利害や意見の衝突は、

つきものだ。

 

そういうとき、

相手の意見を通して自分の意見をひっこめたときだけ歓迎され、

自分の意見を主張しようとすると、とたんに相手が不機嫌になる、

ということが、

なんだか、自分の人生では繰り返し起きてるなあ、と思う人は、

そういう自分の人生のあり方を、

再検討する時機にきているのかもしれない。

 

やみくもに自分の利益ばかりを追求して、

他者をないがしろにするひとは、社会で嫌われる。

が、そのいっぽうで、

自分の利益をいつも犠牲にして、他者の利益を優先してばかり

いるひとは、

いいように利用されたり、陰であなどられたりするものだ。

 

自分がそういった、「敗北者」の地位に固定されてるなあ、

と思う人は、革命を起こす必要がある。

 

とはいうものの、いきなり相手をおしのけて自分が勝とうとしても、

相手もあることだから、すぐには、うまくいかないだろう。

 

簡単な方法の第一は、

奉仕者」にばかりなるのを、やめてみることだ。

なにか災害が起こったらすぐ寄付してみたり、

街角で困っている人をみたら、すぐ駆け寄っていって手助けする、

なんてことを、一度、やめてみることだ。

 

もちろん、そういった他者への貢献は、

ふつうは、いいことである。

でも、世の中は、助けたり、助けられたり、のはずだ。

 

自分がすぐにそういった奉仕、貢献をしようしようと思う人は、

他者の心の痛みに敏感な人なのだ。

ただ、それがあまりにも過剰に敏感すぎることになると、

自分がいらぬ損な役回りを引き受けることにもなる。

だから一度、ためしに、そういうことをやめてみたらいい。

 

こう考えてみたらどうだろう。

なにか災害で困っている人がいたとして、

自分が1万円出して助けるのではなく、

100人が100円ずつ出して助けるような、

そんなありかたもあるんじゃないか、と。

 

あまりにも重すぎる重荷は、そのひとを壊してしまうかもしれない。

そして、あなたの味方をしてくれる天使みたいな存在は、

たまには、あなたにも微笑んでほしいと思っているかもしれない。

 

欽ちゃんの愛称で知られる萩本欽一さんは、

「ダメなときほど運はたまる」というシリーズの本を出している。

そのなかで欽ちゃんは、

社会がうまくまわっていくためには、

ひとびとがもっとサービス精神をもったほうがいい、

という意見をのべている。

 

しかし、この点に関しても注意しなければいけないのは、

そのサービス精神は、

双方がもたなければいけない、ということだ。

 

だれかがサービス精神をもついっぽうで、

他方はまったくサービス精神などもたず、

ただ、相手を利用するだけ、なんてことならば、

そんな社会は、どう考えてもおかしいだろう。

 

ブラック企業なんか、そうなんじゃないだろうか。

あるいは、過労死問題、サービス残業問題をかかえる企業なんかも

そうだろう。

 

ブラック企業に酷使されているひと、

過労死するくらい働かされているひと、

サービス残業を強要されているひと、そんなひとたちに、

あなたはサービス精神を発揮していますね、いいことです、

なんて、

そんなおかしなことがあってよいはずがない。

 

サービス精神というのは、「お互い」が持たねばならない。

力点は、

「サービス精神をもつこと」にあるのではなく、

「それが、お互いであること」にある。

そして、お互いということ、相互性ということ、

そこに、まさに理が存在するのである。

大切にしなければいけないのは、理、なのだ。