男性差別、ときどき、世界への反逆。

この世界についての非主流的な意見と、男性差別についての考えをすこし。

女に容赦のない太公望③-妲己を、一刀両断。

封神演義という物語では、悪辣な殷と、それを倒す周、

という2大陣営を軸に、話がすすんでいく。

殷の事実上の総大将は、妲己(だっき)である。

周の事実上の総大将は、太公望こと、姜子牙である。

この2名は、とても対照的だ。

 

妲己は、女である。太公望は、男である。

妲己は、若い。太公望は、老人だ。

妲己は、妖怪である。太公望は、仙界で修業をつんだ人間だ。

妲己も、太公望も、尋常ではない知恵をもっている。

しかし、その知恵の種類がことなる。

 

妲己は、紂王をそそのかして、さまざまな悪事をはたらく。

たとえば、殷の都で、ある老人が川をわたろうとしていた。

見ていると、若者は躊躇なく川をわたっていくようにみえるのに、

老人は、川をわたるのに逡巡しているようにみえる。

妲己が紂王にささやく。

老人が冷たい川をわたるのに逡巡しているのは、

若者にくらべて、脛にある骨髄の量がすくないからで、

それで冷たさをより感じるからなんですよ、

老人の足を切断して観察してみればわかります、と。

紂王は、そのようにしてしまう。

また、殷の都を、妊婦が歩いていくのがみえた。

妲己が紂王にささやく。

あの妊婦のおなかにある胎児のあたまの向きは、

どちらを向いているか、わかりますか。

きっと、〇〇の方向です。

妊婦のおなかを割いて確認すれば、きっとわたしの言っていることが

正しいと、おわかりになるでしょう、と。

紂王は、そのようにしてしまう。

 

この話をきいて、どう思うだろうか。

妲己というやつは、なんて残酷で悪辣なことを思いつくやつなんだ、

というような感想を、ふつうは抱くだろうと思う。

しかし、この話をよくよく注意してみれば、

妲己のもっている知恵というのが、ある種の系統に属した知恵である

ことがわかる。

 

妲己が、ある種の知恵をもっていることは、たしかだ。

考えたこと、実行したことは残酷で悪辣なことだが、

老人の骨髄がすくないということと、胎児のあたまの向きに関しては、

真実をとらえているのである。

妲己の知恵の特徴は、人間の体という、物質にかかわる知恵だ、

ということだ。

この世界にある、存在、物質、現象、そういったものを支配している

法則にかかわる知恵が、妲己の持つ知恵なのである。

そして、妲己は、みずからの正しさを証明するために、

老人の足を切断し、妊婦の腹を割いて、実際にたしかめよ、という。

つまり、その知恵というのは、「証明」と親和的であって、

その証明のために、「観察や実験」を用いるものなのだ。

 

これに似た知恵を、わたしたちは、よく知っているのではないだろうか。

 

自然科学である。

自然科学というのは、この世界に実際に存在する物質にかかわる

知恵を追求する学問だ。

物理では、質量をもつ物体が登場する。

化学では、質量保存の法則や、物質が化学変化によってどのように

変化していくのかをあつかう。

生物では、この世界に存在する生物のしくみをしらべる。

地学では、天体という存在について考える。

 

物質。存在。

そういったものをはなれては、自然科学は存在しえない。

そして、その法則をあきらかにするために、

実験や観察をおこなう。

そうして明らかにされた法則は、証明されなければいけない。

それは、万人が納得できるようにするためだ。

 

しかし、この自然科学には、残忍な一面がある。

人間の病気の治療に役立つ新薬を開発するために、

どれだけの動物が残酷な方法で取り扱われているだろうか。

原子爆弾を広島、長崎に投下したその目的の中に、

データを得たかったという目的がなかったと、いいきれるだろうか。

 

紂王が妲己のそそのかしに屈してしまったのは、

老人の骨髄の量を、胎児のあたまの向きを、

実際にこの目でみてみたい、という欲求に勝てなかったからである。

自然科学は、その真実の追求のために、

実験や観察を必要とする。

実験や観察というのは、ようするに、目で見る、ということだ。

そこには、真実であれば、それは目に見えるはずだ、

目に見えるものがすなわち真実なんだ、という信仰がある。

 

この世界に存在する、知恵の系統の1つが、ここであきらかになる。

その知恵とは、

目を中心とした感覚器官による観察によって把握される知恵。

その背後にあるのは、真実というのは感覚器官によって把握する

ことができるのだ、という確信。

それは、今日でいえば、自然科学の根本をなす知恵。

そして、妲己がもっていた知恵でもある。

 

これに対して、太公望がもっていた知恵とは、いったい、

どのようなものなのだろうか。

 

殷の都である朝歌が、周の軍勢によってついに陥落し、

殷の事実上の総大将である妲己が、周軍のまえに引き出されてきた。

が、しかし、周の将兵たちはみな、

妲己のあまりの妖艶さに、妲己を刀にかけることができない。

 

そこへあらわれたのが、周の事実上の総大将、太公望だった。

妲己は、妖艶さをふりまきながら、ひたすら弁明をする。

しかし、それは太公望には通用しなかった。

太公望は、妲己に不思議なことばをかける。

「人間は動物を食べてよいが、動物は人間を食べてはいけない

 ということを、知らなかったわけではあるまい」と。

それを聞いて妲己ははっとするのだが、太公望は容赦なく、

妲己を一刀のもとに斬りさげる。

 

太公望は、知恵をもっている。

しかし、その知恵は、妲己のもっている知恵とは、

種類がことなるようだ。

「人間は動物を食べてもいいが、動物は人間を食べてはいけない」

といったような法則は、

実験や観察でみちびけるような知恵では、とうていない。

 

太公望には、なにが見えていたのだろう。

そして、この2種類の知恵のうち、太公望の持つ知恵が勝つのだ、

としたのが、娯楽小説である封神演義であり、

その封神演義を支持してきたのが、中国民衆であり、

その中国民衆が生きてきたのが、ここ、東洋である。

その東洋にある中国を、自然科学の力でもって19世紀以降、徹底的に

痛めつけたのが、西洋だった。

 

自分はもういちど、東洋の知恵に復活してほしいな。

そして、東洋の知恵をもとにした東洋の真の力を、

あきらかにしてほしいと願う。

西洋は、自らの傲慢さに対して、報いを受ける必要がある。