男性差別、ときどき、世界への反逆。

この世界についての非主流的な意見と、男性差別についての考えをすこし。

利益をえる意図がかくれている場合。

たとえば、学習塾の塾長が、

夏期講習の講座を多数とるように勧めてくる場合がある。

お子さんの成績や学習の状況をみると、

講座をたくさんとったほうがいいのだ、と、熱心に勧める。

たしかに、その点だけをみると、

塾長の言うことももっともらしく聞こえる。

 

しかし、学習塾の塾長には、経営者としての顔がある。

講座を多数とってもらえば、自らの学習塾の利益につながる。

そうである以上、

お子さんの学習状況をみるに、消化不良をおこしてもいけないから

講座は控えめにしましょう、とか、

受講料もバカにならないですから、講座を控えめにされてはいかがですか、

などとは、まず言わないのだ。

 

同じようなことは、多数の検査をすすめる医者にもいえる。

健康のために、多数の検査を受けておいたほうがいい、という

医者の言葉は、一見、もっともらしく聞こえる。

しかし、医者にも経営者としての顔がある。

検査を受けすぎても無駄になりますから、とか、

検査費用もバカにならないですから検査は少しにしましょう、

なんてことは、まず言わないのだ。

 

日常生活でのこういったやりとり、なにげないやりとり、

ごく普通にみえるやりとりの背後には、

相手側のグロテスクな「生」の意図が、表面的な「理」にかくれて

存在していることがある。

それが、なんとなく感じる疲労感や不信感の原因になっているのかもしれない。