男性差別、ときどき、世界への反逆。

この世界についての非主流的な意見と、男性差別についての考えをすこし。

生まれる赤ちゃんへの思い。

自分は結婚していない。

妻はいない。

当然、出産に立ち会ったこともない。

出産に際して女の人が、どんな気持ちになるのかなんて、

正直、わからない。

 

でも、前から思っていた。

出産は、ひどくつらそうだ、って。

だから、こんなことを考えることがある。

 

女性は、子供が生まれてきて、うれしいにはちがいない。

でも、心のどこかで、かすかにこんなふうに思うことは

ないのだろうか。

 

この子さえいなければ、こんなに苦しまなくてもいいのに、

って。

 

女性は、子供を産む女性は、子供を慈しみ、

まるで聖母か何かのように思われるかもしれない。

でも、女性だって、生身の人間だ。

正面切って表には出さなくても、

口にするのがはばかられるような思いをいだくことは、ないのだろうか。

 

旧約聖書の創世記には、

エデンの地をでて巣立っていくアダムとイブに、

神様が、

皮の衣を着せた、

とわざわざ言及している箇所がある。

 

この世界に存在する生き物、存在するものには、

他者と自己を区別する境界線となる、輪郭がある。

絵を描くときには、まず、鉛筆で輪郭をとって、それから色を重ねるよね。

その輪郭。

 

人間にも、輪郭がある。

そして、輪郭を侵すと、ただちに赤い血がでてくるんだ。

皮膚があるよね。

それを刃物か何かで傷つける。

そしたら、皮膚の奥のほうに血液のはいった袋があって、

その袋を破ってはじめて出血という現象が起きる、のではなくて、

まるで、皮膚という輪郭を侵したという、

その事実からただちに赤い血が出るという現象がおきるように、

自分にはみえる。

 

この世界のはじまりに、黒い女性、矛盾という女性がいた。

その女性は、自分がはじめて産んだ子供、

理という白い男の子とまじわって、そうやって、

2番目の女の子、生という赤い女の子がうまれる。

 

もしかしたら、存在のひとつひとつをつつみこんで守っている、

その境界線は、その輪郭は、

はじまりのお母さんのからだの一部なんじゃないかな。

はじまりのお母さんが、2番目の子供、赤い女の子を産んだそのときと、

ちょうどおなじように、

境界線という輪郭を侵すと、血という赤い子供がでてくるんじゃないかな。

そんなことを、ふと思った。

 

自分のもとから巣立つ子供に、はじまりのお母さんは、

自分のからだを割いて、服を着せてあげた。

でも、はじめに言ったよね。

お母さんというのは、

この子さえいなければ、こんなに苦しまなくてもいいのに、

っていう気持ちを、どこかに持っているんじゃないか、って。

 

だから、お母さんが着せたその服には、

「祝福」と「呪い」の両方が、こめられているんじゃないかな。

その服、その輪郭、その境界線は、

矛盾をあらわすお母さんが自分のからだを割いてつくったもの。

だから、その服にも、

祝福と呪いという、正反対のものがいっしょになった、

矛盾がかくれているんじゃないかな。

 

服は、英語で、CLOTHE。

祝福は英語で、CONGRATULATION。

呪いは英語で、CURSE。

なんで、全部、Cではじまるんだろうね。

そして、祝の字と呪の字は、なんで、ちょっと似てるんだろうね。