読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

男性差別、ときどき、世界への反逆。

この世界についての非主流的な意見と、男性差別についての考えをすこし。

男性は、極端な選択をすることを躊躇しない生き物だ。

われわれはみんな、生きている。

生きて、この日々の日常生活を送っている。

そんな平和な日々の中では、あまり意識にはのぼらないかもしれないが、

この日常の果てには、確実に死が訪れるときがくる。

普段生活していると、この生きている日常だけが、

どこまでも広がっているような錯覚にとらわれる。

しかし、現実は違う。

生と死、その2つがあわさって、はじめて世界はできている。

死が訪れるのは最後の一瞬だが、

それをなくしてしまうことなど、できないのだ。

 

日本に暮らしていると、平和な生活をおくれる。

そんな日常の中では気づきにくいかもしれないが、

世界では、きょうも紛争が発生している。

人間の長い歴史をみてみても、たえずどこかで戦争はおこっていた。

戦争は悲惨だ、戦争なんかなくしましょう。

そういった声は聞こえてくるが、はたして、

戦争そのものをなくしてしまうことは、できるのだろうか。

自分は、できないと思う。

なぜなら、この世界では、平和と戦争、その2つがあわさって

はじめて世界ができているからだ。

戦争は非日常だ。

それは、日常生活をおくっていると、意識にはなかなかのぼらない。

でも、ないわけじゃない。戦争は、消せない。

 

中国の故事成語に、「逆鱗」というのがある。

竜はふだん、とてもおだやかな生き物で、

なれればその背に乗ることもできるくらいだが、

その首のところに1枚だけ、逆向きにはえた鱗(うろこ)がある。

その鱗にふれると、竜はたちまち、そのふれた者を殺してしまう

という。

 

竜は、残酷な生き物なのだろうか。

それとも、竜は、優しい生き物なのだろうか。

 

どちらも、ちがう。

大切なのは、「例外」が存在する、ということ。

竜には、逆向きにはえた1枚のうろこ、という「例外」が存在するのだ。

そして、その例外は、消すことができない。

竜は優しいよね、だから、その逆向きのうろこにだって、

ふれていいよね、と考えた者は、ことごとく殺される。

 

この世界には、どこまでも広がっているようにみえる日常の果てに、

例外をつかさどる「周縁部」が存在する。

それは、たとえていうなら、

一見したところはゼロにみえるような、

0.000000000000…1のような存在だ。

その存在は、あたかもないかのように見えるけれど、

じつは存在し、消すことができない。

この世界は、どこまでも広がっているようにみえる日常だけで

できているのではない。

どこまでも広がっているようにみえる日常と、

それに組み込むことのできない例外、

その2つがあわさって、はじめてこの世界はできている。

 

男性は、その例外をつかさどる性だ。

ふつう、ひとは恋愛をするだろう。

結婚もするだろう。けんかもするだろう。

離婚もまあ、常識の範囲内だ。

でも、最初から結婚しない、という選択は、どうだろう。

女性というのは、どこか無邪気なところがあって、

すべてはこの日常、常識の範囲内で動いていくものと、

どこか楽観的に信じているふしがある。

でも、男性は違う。

男性は、この世界の周縁部には、「異常」が存在することを知っている。

女性が目をそむけて見ないようにしている異常を、

男性はいつも見つめている。

だから男性は、最初から女性とは結婚もしない、という、

極端な選択を、躊躇なくとれるところがある。

 

女性は思うかもしれない。

なんだかんだ不満はあるかもしれないけど、男性も、

結局、常識的に考えたら、家庭をもって家庭にかえるよね、と。

でも、男性というのは、本来、女性の思考の範疇におさまるような

生き物ではない。

 

女性も気づいているのではないか。

雌鶏は、卵をかえすために抱いてつつみこんで温める。

母親は、子供が寝ているとき、しばしばそっと布団をかけてやる。

なんで、包み込もうとするのだろう。

もしかしたら、遠い記憶の中で、

とても恐ろしいものは外からやってきた、

という記憶があるからなんじゃないだろうか。

異常と例外をつかさどる、外から。

 

今朝もクソフェミ学者が、日本の夫が家事育児をしないなどと

のたまっていたが、

女はいいかげん、調子にのるのをやめたほうがいいぞ。

家事育児を夫がしないっていうんなら、

夫と妻の仕事を逆にせーや。

妻が外で旦那と同じくらいかせいできて、そのうえに家事も育児も

分担してくれや。

それを旦那に求めるんだろ?だったら自分がやれや。