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男性差別、ときどき、世界への反逆。

この世界についての非主流的な意見と、男性差別についての考えをすこし。

なぜ、おっぱいは2つなのか? 2

人体 この世界の不思議

この世界のはじまりのお母さんというのも、

そのお母さんが生み出した2人の子供というのも、

これがお母さんですよ、これがその子供ですよ、というふうに

具体的なかたちをとってあらわれる実際の存在ではなく、

抽象的な原理をあらわすものだろう、と書いた。

では、その原理とはなんだろう。

 

まずひとつめは、頭髪が守っている頭部である。

頭部はなにをするところだろう。

ここで注意しなければいけないのは、このブログの別の記事でも書いたが、

この世界の秘密は、ひとつには「人間の」からだにあらわれる、

ということだ。

人間以外のさまざまな生き物のからだにもこの世界の秘密が

あらわれる、と解釈すると、間違うことになる。

もちろん、人間以外の生き物のからだについても考えてみることで、

この世界についてのある種の洞察はえられるかもしれない。

が、旧約聖書の創世記にかかれているように、

あくまで人間というのは、ほかの生き物とは異なって特別なのだ。

ここをおさえる必要がある。

だとすれば、頭部というのはもちろんほかの生き物にも存在する

わけだけれど、

ほかの生き物とはちがってとくに人間の頭部だけがおこなうはたらき

とはなんですか、というのが、ここでたてられるべき問い、

ということになる。

 

人間の頭部は、なにをするところだろう。

それは、考えることをおこなう場所だ。

人間は、考えるということができるから、ほかの生き物ではなしえない

ような、文明を築くということも可能にしてきたのだ。

判断する。区別する。道理に従って考える。

理性によって思考する。

そういったことをおこなうのが、人間の頭部だ。

もちろん、人間の頭部には、頭がい骨があり、そのなかに脳みそが

おさまっている。

しかし、ここで守られているのは、そういった具体的な生物学上の

器官ではなく、原理だといった。

とするならば、理性や思考、判断をつかさどる頭部を守っている

頭髪が守っている抽象的な原理とは、

「理」ということになる。

つまり、はじまりの母親の子供のうち、ひとりは「理」という原理を

あらわしている、ということになる。

 

では、陰部を守っている陰毛は、いったい、どのような原理を守って

いるのだろう。

ここに存在するだろう、もう1人の子供は、いったいなにをあらわして

いるのだろう。

 

ものごとを考え、判断する際には、細かいところをなおざりにせず、

注意深く、慎重に、ねちねちと考え抜いていく必要がある。

陰毛というのは、おちんちんと、おまんこのまわりに生える。

でも注意したいのは、この陰毛というのは、生まれた時から生えて

いるわけではない、ということだ。

陰毛が生えるのは、思春期からなのである。

思春期になると、男子は精通があって射精をはじめるようになり、

女子は初潮があって月経がはじまるようになる。

が、おちんちんとおまんこそれ自体は、うまれたときから存在する。

おちんちんはおしっこをする際に使用し、おまんこの近くにも尿道

があって、やはりおしっこがでてくる。

しかし、幼児期においては、陰毛はいまだ生えていない。

とするならば、陰毛はまず第一に、泌尿器に象徴されるような、

泌尿作用、排せつ作用という原理を守っているわけではない、

ということである。

陰毛は、思春期の開始とともにはえてくる。

思春期の開始とともに顕在化してくる原理とはなんだろう。

 

それは、生殖作用だ。

男子の射精も、女子の生理も、みな、次代に子孫をのこしていく

ためにおこなわれるものだ。

陰毛は、この生殖作用が顕在化してくるまでは決してはえてはこず、

生殖作用が顕在化してくるとともにはえてくる。

とするならば、陰毛が守ろうとする原理は、おそらく、

生殖作用に関係がありそうだ、ということがわかる。

 

ここで、この原理をさらに突き詰めて抽象化するために、

生殖作用とはなんぞや、ということを考えてみる。

人間は、生まれてから死ぬまで、他の生き物を食べて生きていく。

これは、1人の人間が生まれてから死ぬまでの、

1つのサイクル、プロセスだ。

このプロセスは、なにもしなければ、その1人の人間が死亡した

時点で終わりをつげる。

ところが、生殖作用をおこない、子孫を残すという選択をすることで、

その人間が死亡したあとも、そのプロセス、サイクルを終了させずに、

別のかたちで次につなげていくことができる。

1人の人間が自分の一生をいきていくためには、食べるための口が

あればよく、生殖器官はかならずしも必要ではない。

現に男性であれば、食べないで生きていくことは不可能だが、

射精を我慢しながら生きていくことは、かならずしも不可能ではないだろう。

口がなければ生きてはいけないが、性器を切断したとしても、

古代中国の宦官のように生きていく例は存在するのだ。

 

しかし、自分が死んでしまったとしても、

「なおもべつのかたちで生き続けたい」という願いをもったとき、

生殖器官と生殖作用が必要になる。

食べるというのは、自分1人が自分の一生を生きるためであり、

生殖作用をおこなうというのは、自分が死んでしまったとしても、

そのあともなお生命のプロセスを絶やさない、生き続ける、

ということのためである。

ということはつまり、生殖作用は、より長いスパンでの、

「生きる」ということにかかわる。

であるならば、陰毛が守っている抽象的な原理とは、

「生」ということになる。

つまり、はじまりの母親の子供のうち、もう1人は

「生」という原理をあらわしている、ということになる。

 

はじまりの母親がいったい、どのような原理をあらわしているのか、

ということについては、まだここでは言及しなかったが、

その2人の子供は、「理」と「生」という原理をそれぞれあらわしている、

と考えてきた。

こう考えてきたのも、人間の体に注目したからで、

おっぱいが2つある→子供が2人いる→実際の人間の子供は

2人とはかぎらない→その子供は実際の子供ではない→

抽象的なこの世界の原理に関わる→頭部と陰部には集中して

毛が生えている→そこにこの世界の2人の子供が存在するから

守られている→その2人の子供とは?→頭部と陰部のそれぞれの

はたらきから抽象的に帰納して考える→理と生ではなかろうか、

という思考過程をたどってきたわけだ。

 

はじまりの母というのが、この世界のはじまりにあって、

その同じ母から2人の子供がうまれた。

その子供は、1人が「理」、もう1人が「生」。

同じ母からうまれた以上、この理と生のあいだには、

兄弟関係、姉妹関係がある。

そして、頭髪は最初からはえているが、陰毛はあとからはえてくる

ことを考えると、

兄や姉にあたるのが理、弟や妹にあたるのが生、

ということに、たぶんなるのだろう。

自分は、この理のほうが兄、生のほうが妹、と考えている。

なぜ、性別がわかれるのかについては、

はじまりの母から理と生がそれぞれうまれてきた生成過程にかかわる

のだが、それはまた別の記事で。