人間のからだにはこの世界の秘密がかくれているのではないか、
ということを、このブログの別の記事で書いた。
じつはもうひとつ、言葉や文字といったものにも、
この世界の秘密がかくれているのではないか、と思う。
次のようにある。
1:1
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2
この言は初めに神と共にあった。
この部分も、やけにしつこい表現となっている。
言葉が神であり、言葉が神とともにあったということを、
3回も繰り返しのべている。
神というのが、この世界のからくり、秘密、真理、枢機を
表現した言葉だとすれば、
言葉や文字について深く思考をめぐらしていけば、
この世界のからくり、秘密、真理、枢機を、
逆探知できるのではないか。
そんなふうにも考えた。
普段あたりまえに見慣れている人間の体や、
あたりまえに使用している言葉や文字は、
あまりにもあたりまえすぎて、あらためて注意をはらうことがない。
昔、こんな話があったと記憶する。
封書を部屋のどこかに隠すのに、いちばん見つかりにくいところは
どこか、ということで試してみたが、
最後まで見つからなかった封書は、レターボックスのなかに
隠されていたという。
神はこの世界の秘密をかくすのに、
どこか遠くの果てにかくしたのではなく、
あまりにもあたりまえすぎて人がふつう注意をはらわないような
ところに隠したのではないだろうか。