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男性差別、ときどき、世界への反逆。

この世界についての非主流的な意見と、男性差別についての考えをすこし。

高齢ひきこもりは、無関係な問題じゃない

ひきこもり、という言葉で通常思い浮かべるのは、

若年層のひきこもりかもしれない。

政府もそう考えていて、政府がおもにおこなうひきこもり対策は、

若年層を対象としている。

 

その、若年層のひきこもりだけでも、50万人ほどいる。

しかし実際には、40歳以上のひきこもりのほうが、

ずっと人数が多いらしい。

ということは、若年層、高齢層、トータルでみたひきこもりは、

100万人を超えている可能性が十分にある。

ちょっと、すごい数字じゃないだろうか。

 

政府は、高齢層のひきこもりを、ひきこもりの定義からはずして

いるようだ。

しかし、言葉の定義はどうであれ、高齢層がじっさいに、

いわゆるひきこもりといわれるような生活状態にあって、

しかもその人数が決して少なくはないというのであれば、

それをひきこもりと呼ぶかどうかはべつにしても、

解決すべき行政課題のひとつにはなっているだろう、と思う。

 

自分がひきこもりでもなく、また、身近にそういったひきこもり

のひともいなければ、

ああ、ひきこもりか、悲惨だね、

みたいな感想しかもてないひともいるかもしれないが、

ことは、決して無関係な問題というわけでもない。

 

高齢ひきこもりの多くは、生活の基盤を老親にたよっている。

この老親がなくなれば、かれらの生活基盤は、早晩、

崩壊するかもしれない。

そうすると、かれらがどうなるかというと、後追い自殺する

可能性もなくはないが、現実的には、生活支援をもとめて

福祉の世話になることになろう。

そうすると、財政にすくなからず影響をあたえ、それが回りまわって

私たちの生活にも影響してくるのだ。

 

日本は人口減少のプロセスにあって、その影響もあってか、

いろんな職場で人手不足の兆候があらわれはじめている。

高齢ひきこもりとよばれるひとたちが社会参加できるようになれば、

かれら自身のためになるばかりでなく、社会のためにも好ましい。

無関係なこととして放置するのではなく、

かれらと積極的にかかわっていく道を模索すべきではないだろうか。