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男性差別、ときどき、世界への反逆。

この世界についての非主流的な意見と、男性差別についての考えをすこし。

大阪都構想は、実現すべきではない

世の中

大阪維新の会は、大阪都構想実現に向けて、ふたたびの住民投票

を目指しているようだが、実質的には大阪市廃止構想であるこの構想は、

大阪市民にとってなんらメリットのあるものではなく、

実現すべきではない、と考える。

 

1 大阪府は巨額の財政赤字をかかえているが、大阪市はそれほどでも

  ない。大阪市には、自主的に使える豊かな財源があるからだ。

  大阪都構想とやらによって大阪市が廃止されることになると、

  大阪市からあがってきた税収を、大阪市民が自主的に使うことが

  できなくなり、いったん、大阪府に吸い上げられ、大阪府

  お伺いをたてなければ使えなくなる。

  そんなバカな話があるだろうか。

  大阪府に巨額の財政赤字があるのならば、その問題は、

  大阪市民だけでなく、全大阪府民に責任のあることである。

  その解決のためであるのであれば、大阪市の税金のみを

  あてにするのではなく、大阪府全体から幅広く税を徴収する

  などして解決するのが、当然のスジである。

  大阪市民のみが大阪府のためにただひとり犠牲になるのは、

  どう考えてもおかしな話だ。

  自主財源の確保という点において、まず大阪都構想は、

  大阪市民にとって利益がない。むしろ、マイナスである。

 

2 さきの住民投票において大阪都構想が否決されたとき、

  そのことを都構想の「頓挫」であると表現したマスコミがあったが、

  その表現は妥当ではない。

  頓挫とは、なにか優れたもの、素晴らしいもの、その実現が期待された

  ものが、残念なことに実現に至らなかった場合に使用する言葉だ。

  ところが、大阪都構想は、そもそも素晴らしいものでもなんでもない。

  むしろ、大阪市民にとっては、害悪をもたらす蓋然性の高いものだ。

  したがって、その否決を頓挫と表現することは、誤りである。

 

3 政党というのは、国民、住民のために存在するのであって、

  国民、住民が政党のために存在するのではない。

  大阪市民と大阪維新の会の関係も、同様であるはずだ。

  大阪市民のために大阪維新の会が存在するのであって、

  大阪維新の会のために大阪市民が存在するわけではないのである。

  大阪都構想は、大阪維新の会にとって一丁目一番地の看板政策

  であるかもしれないが、大阪市民がその政策と心中しなければ

  ならないわけではない。

  その政策が大阪市民にとって妥当なものではないのであれば、

  大阪維新の会の側が、その政策を変更する柔軟性をもつべきだろう。

 

4 さきの住民投票の結果が僅差であったことを問題視する考え方

  があるが、それは妥当ではない。

  意見が対立する問題について投票をおこなう場合に、

  その結果がかならず、一方の意見の他方の意見に対する圧倒的

  優位に終わるとはかぎらない。

  結果が僅差である場合も、どうしてもでてくるのである。

  それを認めないのならば、結果が僅差になるような微妙な  

  争点に関しては、いっさい、決を採ることができなくなり、

  状況が停滞することはなはだしいものになるだろう。