男性差別、ときどき、世界への反逆。

この世界についての非主流的な意見と、男性差別についての考えをすこし。

男性の結婚離れについて思うこと。

男性の結婚離れについて思うことをまとめていこうと思う。

 

1 結婚率の上昇を目指すのであれば、結婚生活をおくっている

  先輩の世代が、これから結婚するかもしれない若い世代にむけて、

  結婚って素晴らしいよ、というメッセージを発信していくことが

  大切だと思う。

  その際に大切なことは、口先だけで結婚の素晴らしさを語る

  のではなく、自分の実体験としてほんとうに結婚が素晴らしい

  と思って言っているということ、夫も妻も、男性も女性も、

  双方が結婚してよかったと思っているということ、である。

 

2 結婚に魅力を感じてもらうためには、

  結婚しなけりゃ老後は孤独死だぞ、とか、いい年して結婚してない

  やつはどこかおかしいよな、とか、そういうネガティブな、

  脅迫するかのような言説はひかえて、もっと、

  結婚っていいものだよ、結婚したらこんないいことあるよ、

  っていう具体的な素晴らしさを、男性、女性、双方に対して

  発信していくことが大切だろう。

  具体的な素晴らしさがなくて、いやなことばかりなら、

  そりゃ、結婚する人が減るのも当然だろう。

  また、結婚が男性にとってだけいいことがある、とか、

  結婚が女性にとってだけいいことがある、とかいったように、

  片方の性別にしかいいことがないなら、他方の性別は結婚を

  ひかえるようになったとしても、不思議ではない。

 

3 明るく楽しい結婚生活と、不倫の発生は、不倶戴天の敵同士

  のようなものだ。

  既婚者が簡単に不倫をし、不倫が流行するような社会では、

  結婚したいと考える人が減少するのも当然のことだ。

 

4 企業であれば、自社の商品を買ってほしいと思えば、

  いかに自社の商品が素晴らしいかについて積極的にプレゼンし、 

  アピールしなければいけない。

  結婚も同様である。

  この場合、アピールしなければいけないのは結婚したい側であって、

  自分と結婚すればいかに素晴らしい未来が開けるかについて、

  結婚にさほど乗り気でない相手に対してプレゼンするのである。

  男性が結婚したいのであれば男性がプレゼンしなければいけないが、

  女性が結婚したいのであれば女性がプレゼンしなければいけない。

  なおかつ、企業の場合に、プレゼンした商品が実際は粗悪な品

  だったらその企業は信用を失うのと同様、結婚の場合にも、

  プレゼンに際して自分のおこなったアピールを、のちの実際の

  結婚生活において実現していかねばならない。

  その品質保証が確かなものでなければ、結婚相手の信頼を失う

  だけでなく、そのような偽りの事例を目の当たりにすることに

  なる、これから結婚するかどうかを考えるひとに対して、

  結婚に対するネガティブなイメージを植え付けることにもなり、

  結果として、結婚が減少する原因ともなりかねない。

 

5 結婚生活を維持していくには、お金が必要だ。

  そしてお金は最初から備わっているものでもなく、

  どこかから勝手に降ってくるものでもない。

  つまり、「お金がある状態」が当たり前なのではなく、

  「お金がない状態」が当たり前なのであって、結婚生活について考える

  際には、まず、お金がない状態をスタート地点にして考える必要がある。

  かりに、お金がある状態が当たり前ならば、あとは家事や育児といった

  ものしか残っていないわけだから、その家事や育児を夫婦でどう分担

  していくか、という話にもなろう。

  ところが実際はそうではなくて、お金がない状態がスタート地点なわけ

  だから、どうやってお金をかせいでくるのか、つまり、仕事をどうする

  のか、という話から始めなければいけない。

  とすると、これから結婚生活をいとなんでいこうとする夫婦の前には、

  まず仕事、そして、家事、育児という順番で、取り組まねばならない

  課題がひかえていることになる。

  繰り返しになるが、お金は勝手に降ってくるものではない。

  お金がある状態、など、はじめは存在しないのだ。

  だから、お金を稼いでくる仕事は誰かがやって当然、問題は家事や育児を

  どうするかなのだ、という考えは、「誤り」である。

  夫婦で公平に課題を分担するならば、

  お金を稼いでくる仕事をどう分担するのか、

  家事をどう分担するのか、

  育児をどう分担するのか、について、

  仕事、家事、育児、それぞれの分野における夫婦それぞれの貢献度を

  公平な観点から考えながら、決定していく必要がある。

  ただし、妊娠、出産については、注意深く配慮する必要がある。

  育児に関しては、その責任と負担を夫婦の双方で分担することも可能だが、

  妊娠と出産に関しては、その負担は、妻だけに一方的にかかり、

  夫の側にはかからないものである。

  そして、その肉体的、精神的な負担、苦痛は、通常、たいへん大きなもの

  になる。

  夫婦間で、外で働いて稼いでくる仕事、家事、育児を分担するにあたっては、

  かりに妻が、妊娠や出産を経験しているならば、

  そのことをも考慮して取り決めをおこなわなければ、公平とはいえない。

 

6 夫が財産を築いた場合に、夫がその財産を築くにあたって妻の

  影響、貢献があった、と考えるのならば、

  夫が負債を築いた場合にも同様に、妻の影響があった、と考える

  のがスジである。

  妻はプラスの影響しかあたえず、マイナスの影響など絶対に

  あたえないのだ、と考えることは、公平の観点からも、事実の

  評価という点からも、いささか問題があろう。

 

7 人間が生きていれば、人生や生活に対する不平、不満がでる

  ものだ。これは、どんな人間だってそうである。

  不平、不満がでることは、だれにでも言えることで、不平、不満

  をもつことは普通のことなのだ。

  結婚生活では、夫が不満を持つこともあれば、

  妻が不満を持つこともある。

  妻が不満を持つこともあれば、夫が不満を持つこともある。

  一方の性別が不満をもつことだけが正当化されて、

  他方の性別は不満を持つことすら許されない、というのでは、

  異常なことだろう。

  かりにそういう異常なことがまかりとおるとなれば、結果的に、

  その抑圧された性別のほうは、結婚そのものから逃避していく

  だけである。

  したがって、夫が不満を持った場合にも、妻が不満を持った場合にも、

  どちらの場合にも、相手側の夫、あるいは妻は、真摯に相手に

  向き合う必要がある。

  夫の不満も解決される必要があるし、妻の不満も解決される必要

  がある、どちらの不満も解決される必要があるのだ。

  どちらか一方の不満のみが解決される必要があり、

  他方の不満などは無視されていい、なんてことをやっていたら、

  結婚件数はだんだんと減ってくるだろう。

 

8 女性専用車両、女性専用席、レディースデーなど、

  女性専用であるものが社会に目立つようになってきた。

  この背後にあるのは、男性というものは不快なものであるから、

  男性を排除して女性だけでやっていくスペースを確保しよう、

  ということである。

  よろしい。

  ならば、女性だけでやっていったらいい。

  ただし、普段から男性に向けてそのようなメッセージを送って

  いるのに、結婚のときだけ男性が寄ってくる、などとは、

  期待しないことだ。

  男性を排除して女性だけでやっていきたい、というメッセージを 

  普段から男性に向けて発信していくならば、そのことが直接的、

  間接的に影響して、男性が結婚からフェードアウトしていくこと

  になったとしても、なんら不思議はないのである。

 

9 結婚に際しては、男性は相手の女性の容姿を、女性は相手の

  男性の経済力を重視する、といわれる。

  もしかりに、女性の容姿を重視するなんてけしからん、という

  のであれば、男性の経済力を重視することもけしからん、

  ということになろう。

  かつては、女性の結婚について、クリスマスケーキにたとえて

  言われていたものだった。

  クリスマスケーキは、25日までなら売れる。

  でも、それをすぎると、途端に価値が暴落する。

  女性も、25歳まではなんとか結婚できるが、それを過ぎると

  価値が暴落する、というものだ。

  女性をクリスマスケーキにたとえるなんてひどい、という、

  昨今の女性上げの風潮の中で、このたとえは、あまり言われなく

  なった。

  だが、言われなくなったら事実は変わるのか、といえば、

  事実のほうは変わらないのである。

  女性は間違いなく、年齢が上昇すると、結婚しにくくなる。

  年齢が上昇すると結婚しにくくなるのは男女に共通のことだが、

  とくに女性においてそれは顕著である。

  というのも、年齢の上昇は男性の経済力にかならずしもマイナスの

  影響を及ぼさないが、女性の容姿には確実にマイナスの影響を

  及ぼすからだ。

  クリスマスケーキのたとえをしなくなったら男性は年齢の高い

  女性とも結婚するようになるか、といえば、全然そんなことはない。

  クリスマスケーキのたとえがなくなったところで、男性が若くて

  容姿のよい女性を好むという事実は、厳然として存在し続ける。

  クリスマスケーキのたとえがなくなったことでなにが変わったかと

  いえば、女性が、自分が年齢を重ねることに対してきちんと警戒心を

  もつ機会のひとつが失われたということだ。

 

10 結婚する男性がいれば、結婚しない男性がいる。

   結婚する女性がいれば、結婚しない女性がいる。

   結婚できる男性がいれば、結婚できない男性がいる。

   結婚できる女性がいれば、結婚できない女性がいる。

   うえにのべた8通りのパターンは、そのそれぞれが存在する。

   結婚しない女性と結婚できない男性しか存在しない、とか、

   結婚しない男性と結婚できない女性しか存在しない、

   と考えることは、いずれも、理に反するといえよう。

   結婚できない男性も、結婚できない女性も、

   結婚しない男性も、結婚しない女性も、

   いずれも存在する以上、

   結婚していないことで将来、孤独死のリスクが発生することは、

   男性にも、女性にも、言えることである。

   雑誌の特集などでは、

   独身中年男性に孤独死のリスク、などと煽る特集記事が

   組まれることがあるが、

   独身中年女性の孤独死のリスクを無視し、男性のリスクのみを

   一方的にとりあげるのでは、

   事実を的確に評価しているとはいえないし、

   公平でもないだろう。

 

11 結婚しない、というのと、結婚できない、というのは、

   厳密には、異なる概念である。

   結婚しないひとは、みな、結婚できないひとである、

   というわけでもないし、

   結婚できないひとは、みな、結婚しないひとである、

   というわけでもない。

   両者を混同することなく、はっきりと区別することが必要だ。

   とりわけ、できない、という言葉の使用には、注意が必要だ。

   できない、という言葉は、一般的に、

   なにか望ましい状態があって、自分は、その望ましい状態を

   手に入れることを希望しているのに、それにもかかわらず、

   それが実現しない、といったような、

   マイナスのニュアンスを含むものである。

   泳ぐことができない、といえば、 

   一般的には、泳げたらいいのになあ、泳げたら楽しいのになあ、

   というのが前提事実としてあって、

   にもかかわらず、泳ぐことが実現しない、ということである。

   ピーマンを食べることができない、というのも同様だ。

   好き嫌いなくなんでも食べれたほうが、なにかと好都合だ、

   というのが前提事実としてあるわけだ。

   であるから、このような前提事実がないものについては、

   できない、という言葉を使うと、すこし、滑稽な感じに

   なることがある。

   私は北朝鮮の国民になることができない、とか、

   私は1万光年のかなたにある星の石を手に入れることができない、

   と言ったとしよう。

   事実上、その実現が不可能である、という点に関しては、

   何の問題もない表現なのだが、その前提事実のほうに

   問題がある。

   つまり、北朝鮮の国民になったり、1万光年のかなたにある

   星の石を手に入れたりすることは、一般的には、

   それほど望ましいこととは、思われていないのである。

   結婚できない、という表現をする際には、

   この前提事実が揺らいでいないかにも、注意を払ったほうがいい。

   結婚は素晴らしいものだ、誰もが結婚を欲しがるに違いない、

   という前提事実が揺るぎなく確かなものであるのならば、

   結婚「できない」という表現にも妥当性があるのだろうが、

   果たして、その前提事実は、ほんとうに揺らいでいないだろうか。

 

12 夫にキレる妻、というのが、テレビなどで話題になることがある。

   夫にキレる妻と、妻の不満に気づかない夫、などの視点でとり

   あげられることも多いのだが、

   そもそも、この視点は本当に正しいのだろうか。

   夫にキレる、ということは、妻が夫に対して不満をもっている、

   ということである。

   ただし、注意しなければならないのは、夫婦生活において不満

   を持つのは、なにも妻に限ったことではない、ということだ。

   先に述べたように、妻が不満を持つこともあれば、夫が不満を

   持つこともあるのである。

   妻の不満は一大事であって全力で解決しなければならず、

   妻の不満に気づかない夫などというのは最低だ、という一方で、

   夫の不満?そんなものはほうっておけばいいじゃん。

   などということでは、公平も公正もあったものではなく、

   家庭はめちゃくちゃになるだけだろう。

   家庭がめちゃくちゃになるだけではない。

   そういう不公平、不公正を目の当たりにする機会が増えていけば、

   男性がそもそも結婚しようなどとは思わなくなることは必定である。

   夫にキレる妻、そして、それを取り上げて夫をたたくメディア、

   それでたしかに一時は勝ったかのように見えるかもしれないが、

   男性がだんだん結婚市場からフェードアウトしていくだけであって、

   結局は、女は自分で自分の首を絞めているのである。

   女の知恵が浅知恵といわれるゆえんである。

   そもそも、夫にキレる妻というのがとりあげられるいっぽうで、

   妻にキレる夫というのがあまりとりあげられないとしたら、

   その要因はいったい、なんなのだろうか。

   妻は夫に非常におおきな不満をもついっぽうで、夫は妻に

   それほど不満をもってはいないのだろうか。

   いやいや、そういうわけでもあるまい。

   夫も妻には不満をもっているのである。しかし、それを声高に

   叫んだり、キレたりはしない、というだけのことだ。

   つまり、妻のほうは、自分の不満を冷静に抑えるだけの理性に

   欠けているのである。

   夫にどうしようもなく不満をかかえているのならば、妻は、

   すぱっと離婚したほうが、どれだけ生産的であろう。

   それをせず、だらだらと結婚生活をつづけるいっぽうで、

   夫に不満だけはぐちぐちと言い続ける。

   なんと非生産的な行為だろう。

 

13 たとえば、海に釣りに出かけるとする。

   海釣りでも、どの堤防のあたりがよく釣れるとか、よく釣れるスポット

   というのが存在する。

   よく釣れるスポットには、当然、おおくの釣り人があつまる。

   もちろん、よく釣れるスポットに行かなかったとしても、

   魚は釣れるかもしれない。実際には。

   でも、よく釣れるスポットに行ったほうが、魚が釣れる可能性、

   確率が高まることも事実である。

   よく釣れるスポットに行く人は、そういった可能性、確率、傾向

   といったものを重視してそこに行くのだ。

   実際には、よく釣れるスポットでなくても魚は釣れるかもしれない、

   といった小さな事実よりも、

   よく釣れるスポットに行ったほうがよく釣れる傾向にある、という、

   その全体的な傾向のほうが、かれらにとっては重要なことなのである。

   昨今、テレビでは、男性を馬鹿にしたような女がよくとりあげられている。

   ネットなどの情報をみても、結婚したら嫁の態度がでかくなって、

   不幸な結末をむかえる男性の情報をたくさん目にする。

   そういった情報を目の当たりにすると、だんだんと男性は、

   「結婚すると不幸になるという(傾向)があるんじゃないか?」

   と思い始めるのだ。

   女は言うかもしれない。

   あなたは実際に女に何かされたの?とか、あるいは、

   女性の中にもいい人はいるよ、って。

   でも、そういったことは、さきの海釣りの例でいうならば、

   よく釣れるスポットに行かなくても、(もしかしたら)魚は釣れる

   かもしれないよ?程度のことでしかないのだ。

   論拠としては、はなはだ弱いのである。

   全体的な傾向が、女と付き合うとまずいことになりそうだよ、

   とささやいているのに、

   いやいや、もしかしたら、いい女性もいるかもしれないよ、というのは、

   魚がほとんど釣れないという情報がでまわっていて、釣り人がほとんど

   見向きもしないようなスポットでも、釣りをしていたら、もしかしたら、

   魚が釣れるかもしれないね、程度のことでしかないのだ。

   男性も合理的に判断するだろう。

   どうして、わざわざ可能性や確率、傾向に反するかたちで、自分の行動方針を

   決定するだろうか。

   男性に結婚してほしいのならば、まずはこういった、ちまたにあふれる、

   結婚したら男性が不幸になったということについて、

   事実と情報の双方をなくしていくことが喫緊の課題である。

 

14 中年男性が若い女性を結婚相手として希望していると、

   「もっと現実をみなきゃ」とか「そんなんだから結婚できないんだよ」

   と揶揄されることがある。

   でも、この点に関しても、前提となっている事実は何か?

   ということに注意したほうがいいだろう。

   はたしてその男性は、どんなことがあっても結婚したい、

   是が非でも結婚したい、と思っているのだろうか。

   それとも、若くて容姿のよい女性と結婚できないならば、

   べつに結婚しなくてもかまわない、と考えているのだろうか。

   かりに前者であるのならば、若い女性にばかりこだわるのは、

   たしかに、結婚を実現するといううえでは、

   現実的ではないかもしれない。

   しかしながら、もし後者であるのならば、結婚そのものは絶対的な

   目標ではなくて、結婚しないということも現実的な選択肢のなかに

   ふくまれているのだから、

   若い女性にこだわることも、かならずしも現実的ではない、

   とはいえないのだ。

   なにが前提になっているか、ということを見極めることは、

   大事なことだろう。

 

15 生涯未婚率が上昇している。

   2015年の国勢調査によれば、男性のおよそ23%、女性のおよそ

   14%が生涯未婚だそうだ。

   これを見てどう思うだろうか。

   いやいや、男性の7割から8割は結婚するんでしょ、

   だったら問題ないよね、と考えるだろうか。

   もしそうだとしたら、それは、浅はかな考えかもしれない。

   男性の中には、いちどは女性と結婚したものの、

   その後離婚した者も存在するだろう。

   結婚したカップルの、およそ3組に1組は離婚する、といわれている

   昨今、その数字は、決して少ないものではないだろう。

   そのなかには、結婚相手の女性にひどい目にあわされて、

   もう結婚はこりごりだ、などと思っている者もいるかもしれない。

   かれらは、当分の間は、ふたたび結婚することはないだろう。

   そしてかれらは、一度は結婚している以上、その存在が、

   生涯未婚率の数字に反映されることはない。

   であるならば、実際は、生涯未婚率にあらわれている数字以上に、

   女性は結婚しにくくなっているかもしれないのだ。

 

16 この国の司法の現状については、どうだろうか。

   夫が妻と離婚した場合、子の親権がどちらの側に帰属するのかが問題となる。

   そして、この国の司法においては、

   夫の側が親権を獲得することは、事実上、非常に困難になっている。

   また、離婚協議においては、男性側の財産が、女性側に、

   財産分与というかたちで、多く持って行かれることもままある。

   さらには、夫がDVをした、という妻の言い分や、

   離婚協議でなくても、男性が痴漢をした、などという女側の言い分は、

   ろくな検証を受けることなしに、捜査の過程や裁判での審理において、

   安易に認められる傾向もある。

   ようするに、この国の司法は、著しく女側に肩入れしていて、

   女側に非常に甘いものとなっており、

   男性側の権利をはなはだしく毀損するものになっているのだ。

   このことの原因は、いくつかある。

   ひとつには、民法をはじめとした日本の法制度は、女に事実上の

   「生活保護」を、男性側の出捐と負担によってあたえようという

   動機をもっているからだ。

   男性がかりに、女を養うなどの行為をおこなわなかったり、あるいは、

   男性側の財産が女性側に流れなかったりすると、

   困窮した女が生活保護制度を頼るようになり、結果として、

   国家財政上の負担になることが懸念される。

   そうしたことを未然に防ぐべく、女性と特殊な人的関係に入った男性に、

   その女性の事実上の面倒を見させるべく、経済的な負担をその男性に

   押し付けているのだ。

   では、こうした目論見は、今後もうまくいくだろうか。

   自分は、そうは思わない。

   こういったことは、あきらかに不公平なことだ。

   男性側が一方的に損をする、不公平、不公正なことなのである。

   そしてこのことは、インターネットもいまだ存在しなかった数十年前

   ならいざ知らず、インターネットが十分に発達した今日においては、

   男性側も十分に情報を手に入れることができるようになっているのだ。

   そのことによって不公平感を強くした男性は、おそらく、

   結婚そのものをするかどうかということを、検討課題とするようになるだろう。

   そしてその兆候は、生涯未婚率の上昇というかたちで、

   現に顕在化している。

   司法は、個別的人的関係に入った男性に、負担を押し付ければすむのだ、

   というように安易に考えているかもしれないが、

   そこが「司法の猿知恵」といわれるゆえんである。

   そもそも、男性が、女性とはもう個別的人的関係に入るのはやめようか、

   と考えだしたら、いったい、どうするつもりなのだろう。

 

17 中国という国は、世界の工場とよばれることがある。

   いや、正確には、あった、というべきだろうか。

   中国はかつて、人件費がとても安い国だった。

   そこで、世界各国の企業は、その安い人件費を目当てに、

   中国におおくの工場をたてた。

   ところがそののち、中国人民は、賃上げを要求してストなどを

   引き起こすようになった。

   この状況を目の当たりにして、中国に進出していた世界各国の企業は

   どうしただろうか。

   もちろん、その賃上げ要求に応じた企業もあっただろう。

   しかしながら、決して少なくはない企業が、

   中国での事業にはもはや利がない、と見て、

   バングラデッシュやタイ、カンボジアベトナムといった国へ、

   その拠点を移す動きをみせたのである。

   こういったことは、国際的な事業展開においてのみ、

   みられる現象ではない。

   たとえば、ある大手の自動車製造業者と、その業者に部品を納入

   している下請けの零細業者があったとしよう。

   その零細業者が、納入する部品の単価切り上げを要求したとしたら、

   どうなるだろうか。

   もちろん、その大手の自動車製造業者が、

   これまでの取引関係を重視したり、あるいは、その零細業者との

   取引には利がある、と考えて、その要求に応じることも、

   あり得ない話ではない。

   しかしながら、その自動車製造業者にも、選択の自由はある。

   もはや、その零細業者との取引には利がない、と考えたならば、

   その零細業者との取引をやめて、ほかをあたるということも、

   十分に考えられる話だ。

   これとおなじようなことが、男女の婚姻関係において生じることも、

   十分にありうることなのである。

   いま、女性たちは、そして、女性たちだけでなく、彼女らを支援する

   国や自治体の男女共同参画部局までもが、男性に対して、

   家事や育児に対してもっと積極的に貢献しろ、と言ってきている。

   彼女らは、なんだかんだ言っても、男性というのは、結局は結婚し、

   家庭に帰ってくるものだと、楽観的に決めてかかっているふしがある。

   もちろん、そういった女性たちからの要求を受けて、

   彼女たちの要求に応じよう、と考える男性も、それなりにはいるかも

   しれない。

   しかしながら、そこまで言われるのなら、もはや結婚にはなんの

   利も理もないなあ、と考えた男性たちは、

   結婚それ自体から逃避するかもしれないのである。

   女性の考え方と、男性の考え方には、相違があるように思われる。

   女性はよく、鉛筆で丸を描いて、その内側を指さし、

   これが世界だよ、これ以外に世界はないよ、という。

   そういうような考え方をするのが、女性だ。

   ところが男性は、その丸の外側にも、べつの世界が広がっている

   ことを知っている。

   そして男性という生き物は、その外側の世界が、

   たとえ慣れ親しんだ世界でなくても、

   その外側の世界へ踏み出していくことが、たとえ極端な選択であっても、

   その外側へと踏み出していくことを、躊躇しない生き物なのだ。

   そのへんを甘く考えている女と、その支持勢力は、

   手痛いしっぺ返しを喰らうことになるだろう。