この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

痒、という漢字には、なぜ羊がはいっているのか

頭がかゆい、腕がかゆい、足がかゆい、おなかがかゆい、

いろいろと、かゆい思いをするときがある。

この、かゆい、漢字で書くと、痒い、になる。

 

なぜ、痒という漢字には、羊という漢字がふくまれているのだろう。

痒いと羊に、なんの関係があるというのか。

 

漢字について調べるときに、ネットでは、ウィクショナリーという

サイトがある。

が、痒という漢字については、その字源はまだ編集されていなかった。

 

例によって、自分で一から考えてみる。

羊というのは、どんな特徴をもつ動物だろう。

熊や猿、犬や猫、豚や牛、そういったほかの動物とくらべて、

羊に特徴的なことって、なんだろう。

 

羊に特徴的なこと、それは、真っ白な毛でおおわれている、

ということだ。

その毛並みは白く美しく、また人間は、その毛を刈り取ることで、

羊毛から毛織物をつくる。

 

この羊の毛は、羊の体のどこに生えているだろうか。

頭だろうか。背中だろうか。おなかだろうか。おしりだろうか。

 

ちがうよね。羊の毛は、羊の体全体にはえている。

羊の体の、その体表、つまり、体の表面全体を毛がおおっている。

これが、ほかの動物とちがうところだ。

 

もちろん、熊や猿、犬や猫、豚や牛といった動物にも、

からだの表面に体毛はある。

しかし、羊の場合に特徴的なのは、その体毛が、からだの表面が、

ほかの動物にはないような特徴的な体毛によって、非常に強調されて

いるということだ。

 

熊や猿、犬や猫、豚や牛、そういった動物しか例に出していないから、

いやいや、ほかの動物でも、からだの表面がやたらに強調された

動物がいるんじゃないの?と思われるかもしれないが、

たぶん、羊以外には、なぜか存在しないのだ。

ワニやカバといった生き物は、ごつごつとした、似たような皮膚で

おおわれている。

蛇やカエルというのは、ヌルヌルとした、似たような皮膚でおおわれて

いる。

鳥類は、似たような羽毛でおおわれている。

が、羊だけはことなる。羊は、その特徴的な体毛で、

「表面」だけを他の生き物と異ならせているのだ。

 

では、痒い、というのは、どういう生理現象だろう。

 

痒いの特徴を考えるために、もう一つの生理現象である、

痛い、とともに考察してみよう。

 

あやまって手を切ってしまったら、その切り傷がいたむ。

ころんでひざ小僧を擦りむいてしまったら、その擦り傷がいたむ。

そういった痛みはある。

 

しかし、痛みには、おなかが痛むとか、骨が痛むとか、

頭の奥のほうが痛むとか、

からだの内部、からだのなかのほうが痛む、という痛みが存在する。

 

他方で、痒いというのは、それとは異なる。

 

頭の表皮がかゆい、手の甲がかゆい、陰部がなんとなく痒い、

そういった痒みがあるいっぽうで、

胃が痒いとか、骨の奥が痒いとか、頭の奥のほうが痒いとか、

そういった痒みは、存在しないのだ。

 

どういうことかというと、痒みという生理現象は、からだの内部では

発生しないか、発生したとしても知覚できない。

痒みという生理現象が発生するのは、

からだの「表面」においてだけなのだ。

 

ここから、羊と痒みが、すこしリンクしてくる。

羊は、ほかの動物と異なる特徴として、からだの「表面」を

特徴的な体毛でおおっている、ということがあった。

痒みという生理現象は、からだの「表面」のみで発生する。

 

つまり、「羊」という漢字は、

「表面におけるなんらかの異常」をあらわす文字なのではないか。

 

このことをもとに考えてみると、ほかの「羊」をふくんだ文字についても、

見えてくることがあるかもしれない。

 

たとえば、佯、という文字はどうだろうか。

この文字は、佯る(いつわる)と読む。

この文字をつかった熟語に、佯狂(ようきょう)というのがある。

いつわって狂う、つまり、実際は精神状態は正常なのにあえて狂人

のふりをするということだ。

 

佯という漢字には、実際の内面とはちがう外面を、たとえば他者を

だますなどの目的でよそおう、という意味がある。

つまり、自分という人間の、外から見た面、「表面」を、

意図的に異ならせているわけだ。

 

詳、という漢字はどうだろうか。

この漢字は、詳しい(くわしい)と読む以外に、詳らか(つまびらか)

にする、という読みがある。

 

微にいり細にいって言葉をつくして説明するということは、ようするに、

現状や事実の「表面」を、言葉でもって飾り立てるということに

通じるものだ。

 

羊という漢字は、「表面におけるなんらかの異常」というのを原義

としてもち、そこから、表面において内面とは異なった外見を

飾り立てる、という意味がうまれてくる。

 

羊頭狗肉、という故事成語、四字熟語がある。

店頭では羊の肉と称して販売していたのに、実際にはそれは犬の

の肉だった、ということで、見せかけと実際が異なるたとえとして

用いられる言葉だが、もしかしたら、この四字熟語に羊という文字が

入っているのも、羊肉が高級とされているから、という理由以外に、

外面ばかりは美しくみえるという意味で羊という漢字を使ったから

なのかもしれない。

 

この羊という字と、大という字を組み合わせると、

美という字ができる。

 

美という漢字の字源は、おおきな美しい羊だ、という説がある。

 

が、僕はたぶんそれはちがう、とおもう。

羊という漢字に上に見たような原義があったように、

大という漢字は、たんに大きいという意味を表すのではない、

原義があるとおもう。

 

また、別の機会に書くかもしれないが、自分は、

大という漢字は存在や現象をあらわし、小という漢字は、

その存在や現象の背後にある精神、心、法則性、といったものを

あらわす、と、勝手に考えている。

 

とするならば、美という漢字が、羊に大を組み合わせてできているのは、

存在や現象の表面を飾り立てることが、美しいということの背景に

あるからではないだろうか。

 

漢字はふしぎだ。

いま、羊という動物と痒みは、「表面になんらかの異常が存在する」

という意味で共通してるよね、と、その共通性から考えていったが、

実際は、「逆」かもしれない。

 

「表面における何らかの異常」という、ある種の原理がこの世界に

存在して、

それが動物という具体的な事物に具体化された存在が羊であり、

人間の生理現象というかたちで具体化されたものが痒みである、

のかもしれない。