この世界の不思議

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understandは、なぜ「理解する」なのか?つづき

この記事の、前の記事は、こちらから

 

reasongomainstream.hatenablog.com

 

では、続きを書いていきたい。

 

underについて

underという英単語は、下に、という意味をもつが、それ以外にも、

表面には表れてはいないものの、内面や背景にはどういったものがあるのか、

その内面や背景といった場所、

そういったところを指すときに使われる英単語であるように思う。

 

人間は、その外から見てわかる表面に、肉体をもつ。

肉体は、皮膚や毛髪、筋肉、血液、骨格などからできていて、

見たり触ったりしようと思えば、(解剖するということも究極的には

ふくめて)感覚器官で把握できるものである。

 

が、人間はそれだけでできているのではない。

「こころとからだ、人間の全部。」

というのは、某企業のキャッチコピーだったと思うが、

人間には、心もある。

そして心の中は、たとえば感情がその表情にあらわれたり、

自分が考えたり思ったりしていることを表現しないかぎりは、

通常は、外部からはうかがい知れないものであろう。

その意味で、心というのは、表面にあらわれているものではなく、

underな領域にあるといえる。

 

そして、こういった肉体と心のような、外部と内部の関係は、

人間にだけみられるものではない。

 

たとえば、天体や宇宙を観測すれば、惑星などが軌を描くようにして

動くのが観測されるだろうが、そこには、たとえばケプラーが発見

したような、面積速度一定の法則、のような法則がはたらいている。

また、あるものが燃焼することでべつのあるものへと化学変化する

ようすは、実験室などで観察することができるだろうが、そこには、

質量保存の法則のような法則がはたらいている。

 

そして、惑星の運動の様子、ものの燃焼の様子、といったものは、

目などの感覚器官でもってとらえることができるものだが、

その背景にあってそういった現象を支配している面積速度一定の法則

質量保存の法則といった科学法則そのものは、それを直接、

感覚器官で把握することができない。

そういった法則があるだろうなあ、と把握できるのは、

頭脳による認識という精神活動のおかげなのだ。

 

人間の肉体という表面にあるもののunderな領域には、

精神活動をつかさどる心が存在する。

この世界にあるさまざまな存在、物質、現象といったもののunderな

領域には、精神活動によって認識することでのみ把握できる、

法則性や理が存在する。

 

つまり、underということばの含意するものは、

表面にあらわれているところの存在、物質、現象といったものに

対置されるような、精神、法則性、理といったものである、

とも考えられるのではないか、と自分はおもう。

 

余談であるが、たとえばこのことは、

undertakeといった英単語を考える際にも言えるかもしれない。

takeだけであれば、具体的ななにかを手に入れるだとか、

中学英語の範疇でいえば、バスに乗るとか、風呂に入るとか、

そういったときなどに使われる単語である。

これにunderが付着してundertakeになると、

仕事や義務、責任を引き受ける、企てる、約束する、請け負う、

といった意味になる。

義務も責任も、企ても約束も、観念や概念が濃厚な世界のものである。

具体的、物質的ななにか、に関連する程度はひくい。

その意味でやはり、ここでも、underは、精神性と関連してくる。

 

以上をまとめると、

underというのは、精神、理、法則性に関連していて、

standというのは、構造の存在に関連している、といえそうだ。

とするならば、understandが「理解する」という意味になるのは、

「構造の存在」について「精神」活動を通して認識する、

ということが背景になっているのではないか。