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男性差別、ときどき、世界への反逆。

この世界についての非主流的な意見と、男性差別についての考えをすこし。

「暗闇」のもつ力

この世界の不思議

この世界には、いろいろな意味での「暗闇」が存在する。

小さいころ、暗闇が怖かった、というひとも、なかにはいるかもしれない。

暗闇の怖さの原因のひとつは、

状況を十分に把握できない、ということからくる怖さかもしれない。

太陽のような、明るい光があるところだと、ひとは、

周りの状況をしっかりと把握することができる。

暗闇の中だと、それがかなわない。

しかし、そんな暗闇には、不思議な力があるのかもしれない、

と、個人的には思う。

時間的な暗闇ということでいえば、夜というのは、

暗闇の支配する時間だ。

そんな夜にひとは、十分に睡眠をとり、

前日にどんなに疲れていたとしても、翌朝起きたときには、

ある程度、疲労が回復していたりする。

つまり、暗闇というのがひとに、間接的に、

回復させる力、蘇生力のようなものをおよぼしている。

空間的な暗闇ということでいえば、大地の中というのは、

この地上の世界と違って、暗闇の支配する世界だ。

しかしそんな暗闇のなかで、大地にまかれた種は、

徐々に成長し、やがては地上に芽をだしていく。

つまり、大地の中という空間的な暗闇の世界が、

生きる者を育む力をもっている。

 

映画とかをみていると、江戸時代だとか、明治時代だとか、

時代設定が昔である作品を目にすることがあるが、

そういった作品をみているときに気づくことのひとつに、

照明が暗い、ということがある。

たとえば、江戸時代であれば灯明のあかりだけであるとか、

明治時代であればガス灯のあかりだけであるとか、

そういうふうに、画面がなんとなく、暗いのだ。

たぶん、そういった昔の時代に生きていたひとは、

いまよりも暗い日常の中で、日々過ごしていたのだろう。

ひるがえって現代というのは、照明の時代だ。

家の中には蛍光灯がともり、街中に出ても、

24時間、コンビニの照明が街を照らしていたりする。

あたかも、光が闇を駆逐していくかのようだ。

 

先に述べたように、暗闇には力がある、と個人的には思っている。

それはたとえば、回復させ、蘇生させる力であったり、

育むちからであったりする。

光あふれる世界というのは、たしかに人間の生活を便利には

してくれるのだが、

暗闇というものが人間にあたえてくれる力を、

どこかで失わせてはいないだろうか。

 

暗闇というのが怖いというのは、

そのなかでは状況を把握できない、ということからくる怖さなのかも

しれない、と書いた。

暗闇というのは、知ることができない、という世界なのだ。

民主主義社会が発展して、現代では情報公開ということが言われ、

政治家にも説明責任が求められる時代となってきた。

政治の世界に主権者である国民のコントロールを明確におよぼすためにも、

情報公開というのはたしかに必要なことなのだが、

なんでもかんでも白日のもとにさらけだすという、その知の世界、

光の世界の拡大が、

たとえば政治家というひとりの人間から「暗闇」を奪って、

かつてほどのような、いわゆる大物政治家といわれるようなひとが

輩出しにくくなっている原因のひとつになっているのではないか。

 

光ある世界というのは、たしかに状況をはっきりと知ることができ、

明確で、安心できる世界だ。

近代から現代にかけて人間の社会というのは、

いろいろな意味で、この光の世界を拡大してきた。

けれども、そのなかで徐々に追いやられていくことになった

暗闇、というもののなかにも、

人間が生きていくうえで、大切ななにかがかくされている。

ただ光のみをもとめ、暗闇には背を向けてしまうそんなありかたは、

どうも、人間を小さくしているような、

そんな気がしてならない。