この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

咳という漢字の字源と、亥と、垓下と、四面楚歌。

こんにちわ。天機です。

 

 

 

今日はひさしぶりに、漢字についての分析記事を書いてみようと思います。

(約8200字)

 

 

 

今回分析するのは、

 

 

という漢字です。

 

 

 

咳という漢字は、口に亥と書いてできます。

 

なぜ、口に亥と書くと、咳になるのでしょうか。

 

咳という漢字に亥がふくまれているのは、なぜなんでしょうか?

 

 

 

まずはネットで、咳という漢字の字源について、

一般的な説を調べてみましょう。

 

 

 

ウィクショナリーという漢字についてのサイトでは、

こう書いてあります。

 

つまり、

亥という漢字の部分は、豚の骨組みをあらわしており、

豚が病んで痩せて、咳を出している様子をあらわしているのだ、と。

 

 

 

また、知恵袋など、そのほかのサイトでは、

つぎのような分析をしているひともいました。

 

つまり、亥という部分は音(おん)を借りてきた部分で、

つまりは、咳をした時のゴホン!という音をあらわしているのが

亥という漢字なのだと。

 

 

 

天機は例によって、

一般的な漢字学説をことごとく無視して、独自説をたててみたいと思います。

 

 

 

天機が注目したのは、

咳という漢字のなかに含まれている亥という文字は、

十二支の1つだということです。

 

 

 

十二支を順にならべてみると、

 

子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥、

 

で、十二支の12番目に来るのが、亥なんですね。

 

 

 

ここから天機は、次のようなへんなことを考えました。

 

 

 

つまり、

 

咳という漢字の中に亥がふくまれているのは、

咳という生理現象と、

亥があらわす十二支の第12原理とのあいだに、

なんらかの関連があるからなのではないか?

 

なんてことを考えたのですね。

 

 

 

では、この自分の考えを説明していくために、

まずは、咳という生理現象について考えてみましょう。

 

 

 

咳って、どういうときにでるでしょうか。

 

 

 

思いつくのは、風邪をひいたり、なんらかの肺の病気にかかったりしたときには、

咳がでるでしょう。

 

また、食べ物や飲み物がむせたりしたときにも、

ゴホゴホと、咳が出てしまうものだと思います。

 

 

 

これらのことの背景に共通してあるのは、おそらく、

 

異物が肺に入ろうとしたときに、それを防ぐため咳が出る

 

ということだろうと思うのですね。

 

 

 

でも、このことを、もっと深く考えてみたいと、

天機は思うんです。

 

 

 

この、咳によって、肺に入ろうとすることを防ぐところの、

 

異物の大きさ

 

って、どれくらいのものだと、みなさんは思いますか?

 

 

 

ジャガイモくらい?

サイコロステーキくらい?

お刺身くらい?

わらびもちくらい?

お豆さんくらい?

ラムネくらい?

ごまくらい?

砂糖の粒くらい?

 

 

 

すこし、言葉をかえてみましょうか。

 

 

 

咳というのは、わらびもちくらいの異物が肺に入ろうとしただけでは出なくて、

異物がサイコロステーキくらいの大きさになって、はじめて出る、

そういったものなのですかね?

 

 

 

あるいは、咳というのは、

異物が砂糖の粒くらいの大きさの時にはまだ出なくて、

お豆さんくらいの大きさの異物が肺に入ろうとした段になって

はじめて出る、

そういったものなのですかね?

 

 

 

…いずれもたぶん、違いますよね。

 

 

 

咳というのは、その異物がかなり微細なものであっても、

たとえば、ほんのわずかな食べ物のかすとか、ツバのかすかな一部とか、

蒸気みたいな水滴の一部であっても、

 

おおよそ空気でないものが、

本来、空気のみが通過することを許可されているところの

肺や気管に侵入しようとしたときには、

それがかなり微細なレベルにあって、

十分な大きさをそなえてはいなかったとしても、

咳でもってその侵入をはばむ

 

ものだろうと思うんですよね。

 

 

 

肺や気管というのは、おもに空気の通り道です。

 

その肺や気管に侵入しようとして、咳でもってその侵入をはばまれるのは、

おもに、たとえば水滴であったり、食べ物のカスであったりです。

 

 

 

ここで、

 

空気=実体のないもの

水滴や食べ物のカスなど=実体のあるもの

 

と、ものすごくザックリと2つにわけて対比してみると、

咳というのは、

 

実体のないものが存在すべき「場」が、

実体のあるものによって占有されようとしたときに、

逆方向へと爆発的にそれを押し返す

 

という性質をもつものであることがわかります。

 

 

 

そして咳というのは、先にみたように、

その異物がかなり微細なものであっても発生するのです。

 

というよりはむしろ、異物が微細な段階であるときに処理するからこそ、

咳というのは異物排除の用をなすのであって、

異物がある程度大きくなるまで咳が発生しないようなら、

異物排除の役には立たないような気もするんですよね。

 

 

 

ここで、この咳によって排除される異物が、

微細なものであっても排除されるというところから、

「微細」ということについて考えてみましょう。

 

 

 

数の世界において、数をどんどん、どんどん、小さくしていくと、

いずれは、0(ゼロ)になります。

 

そして、数の理論と数学においては、

限りなく、限りなく小さな「数」である

0.00000000000000…1のようなものは、

これを0(ゼロ)と同視します。

 

0.00000000000000…1を0と同視するということは、

数の理論と数学が成立するうえでの根幹、大前提になっているのです。

 

 

 

ただ、数の理論や数学の世界では、

そのように、0.000000000000…1を0と同視するのですが、

天機の考え方、および天機理論では、

そのようには考えません。

 

 

 

天機は、

なにかがどんどん、どんどん、小さくなって小さくなって、

限りなく小さくなっていくときには、

それが完全なゼロ、つまり、「無」になってしまう、

ちょうどその直前の段階に、

「無」とすごくよく似ているけれど「無」とはかすかに違い、

なにかがあるという状態がある、と考えていて、

その「無」の超直前の段階を「寸」と呼んで区別しています。

 

「闘」という漢字は、「門」のなかに「豆」と「寸」がはいってますよね?

「寸」はその「寸」です。

 

 

 

つまり、天機理論においては、

「寸」というのは、ひとつのごくごく微細な最小単位なのです。

 

 

 

この、天機理論において、

「無」という段階の超直前に「寸」という、微細な最小単位があるということ。

 

咳というのは、排除しようとする異物が微細なものであっても、

それを排除しようとする、ということ。

 

咳は、空気という、いわば「実体のないもの」が本来占めるべき「場」を、

水滴や食べ物のカスといった、いわば「実体のある」ものが占めようとしたときに、

それを逆方向へと爆発的に押し返す現象である、ということ。

 

そして、その咳という漢字のなかに、亥という文字が含まれているのは、

咳という生理現象と、十二支の第12原理である「亥」に、

なんらかの関連があるのではないか、ということ。

 

 

 

これらのことを総合して、自分は以下のように考えました。

 

 

 

十二支の第12番目の亥のあらわす原理というのは、

「寸」であらわされるような最小単位領域が、

実体のないなにかではなく、

実体のあるなにかによって占められようとした

まさにその瞬間に、

爆発的に逆方向へと押し返すことによって、

その、実体のあるなにかを排除しようとする原理、

その原理こそが十二支の第12原理である「亥」であって、

人間の咳の発生機序は、

この十二支の第12原理が、

人体における生理現象として具体化したものであるので、

咳という漢字には亥がふくまれる。

 

 

 

とまあ、こんなふうな非常に理屈っぽいことを考えたんですよね(๑◔‿◔๑)

 

 

 

なんで、十二支の第12番目の「亥」の原理というのは、

こんなふうになっているのか。

 

それを考えるには、十二支というものがそもそも、

どうしてできてきたのか、ということについて考える必要があります。

 

 

 

天機の考えでは、十二支というのは、

この世界がどのようにしてできてきたのか、また、

どのように変化していくのか、という、

生成、変化、流転の順序をあらわすものだと思っているんですね。

 

そして、十二支の第12番目である「亥」というのも、

この、世界生成の1つの段階をあらわしているのです。

 

 

 

天機は、こんなふうに想像してみました。

 

この世界のはじまりに、無だろうか、なんだろうか、

何かがありました。

 

それが、世界のはじまりとともに、

それがもともといた中心となるところから、周囲へとむかって、

ぱーーーっと、広がっていくんですね。

 

そして、それが限界まで広がっていったところで、

今度はそれが、もとの中心へ向かって帰ってきます。

 

 

 

どうたとえればいいですかね。

 

たとえば、ミカンの皮をむくときに似ているかもしれません。

 

ミカンをひっくりかえして、底の部分に指をつっこんで、

ミカンの皮をむきはじめますよね。

 

それが、世界のはじまりで、中心から周囲へ向かってわーーっと

向かっていくスタートのところです。

 

で、ミカンの皮を途中で切れたりせずにうまくむけたら、

底とは反対側のぽちっとしたところまでむけますよね?

 

その、ぽちっとしたところにたどりつくのが、

わーっと広がっていったものがもともとの中心へ帰ってきた、

というところです。

 

 

 

ミカンだったら、

スタート地点は底のところで、帰ってくるところはぽちっとしたところなので、

スタート地点≠ゴール地点ですね。

 

なので、たとえとしては、うまくなかったかもしれません。

 

 

 

むむむ。

 

 

 

天機が、十二支の第12原理である「亥」の原理を、

いちばんわかりやすく説明できると思うのは、

新世紀エヴァンゲリオン」というテレビアニメでの一場面かもしれません。

 

 

 

地上波テレビ放送で「新世紀エヴァンゲリオン」のテレビ本放送がはじまったのは、

たしか1995年のことで、

天機はまだ高校生でした。

 

テレビ版新世紀エヴァンゲリオンは、たぶん、全部で26話くらいあったと思う

のですが、そのなかに、

使徒、侵入」というのがあります。

 

 

 

マイクロサイズの使徒である第11使徒の「イロウル」が、

ネルフ本部のコンピュータ指令システムであるMAGIシステムに侵入するのです。

 

MAGIシステムは、

メルキオール、バルタザール、カスパーという3つの部分からなるのですが、

その第11使徒イロウル」によって、

メルキオール、バルタザールはすべて侵食されてしまい、

最後に残ったカスパーも、

そのなかの最小単位を残すだけになって、残りはすべて

イロウル」に制圧されてしまいます。

 

そして「イロウル」が、

MAGIシステムを完全に制圧しようとして、

最後に残ったカスパーの最小単位をやっつけようと攻撃すると、

そこの最小単位は、まるで戦っているかのように少し点滅した後、

なんと、

制圧しようとしていた攻撃側の使徒イロウル」が、

さーーーっと、MAGIシステムから一掃されてしまうのですね。

 

これはリツコ博士が逆ハッキングプログラムを送り込んだからなのですが、

あんまり、文字で説明してみても、

よくわかんないかもしれません。

 

どっかに転がってる動画を探してみてもらえれば、よくわかると思います。

 

 

 

これがたぶん、

十二支の第12原理である「亥」の原理を、

とてもよくあらわしている映像になるかと思うんです。

 

 

 

でも、いまここに、その映像はないので、

あくまで自分の言葉で説明すると。

 

 

 

世界のはじまりに、無かなにかがあって、

それが中心からぱーーーっと周囲へむかって広がっていく。

 

それが限界まで広がっていったら、今度は、もとの中心へ向かって

それが帰ってくる。

 

 

 

その、ぱーっと広がっていって、またもとへと帰ってくる「そいつ」

が動いた移動範囲には、

「色がぬられる」とかりに想像してください。

 

もとの中心からそいつが周囲へ向かってぱーっと広がっていくとき、

「色が塗られた」範囲、領域も、どんどん、大きくなっていきます。

 

そいつが限界まで遠く離れて、また、もとの中心へと向かって折り返すとき、

おおよそ、「世界」の半分くらいに色がぬられた状態でしょうか。

 

そいつが、もとの中心へむかってさーーと戻ってきて、

もとの中心へ近づけば近づくほど、

色をぬられた領域はどんどんと広がっていき、

色がまだぬられていない領域というのは、どんどんと小さくなっていきます。

 

 

 

その、色をぬられていない領域がどんどん、どんどん小さくなって、

ついに、「寸」くらいの大きさになって、

「そいつ」が、とうとうその最後に残った最小単位をも自分の「色」

でぬりつくそうとした、まさにその瞬間に、

その最小単位領域から爆発的に「逆進」が発生するのです。

 

 

 

最小単位をつぶそうとした瞬間に反撃を喰らう

 

ひと言で言うと、これが、

十二支の第12原理である「亥」のあらわす原理なのです。

 

 

 

天機が非常に理屈っぽい人間なので、

ながながと理屈っぽいお話に付き合わせてしまい、申し訳ありません。

 

ですが、このお話には、

あとすこし、続きがあるのですლ(╹◡╹ლ✿)

 

 

 

ところで皆さんは、

司馬遼太郎という小説家の書いた、「項羽と劉邦」という作品を

ご存知でしょうか?

 

 

 

いまから2200年ほど前、紀元前200年ごろの古代中国には、

国史上初めて全土にわたって、

中央集権制の官僚国家をうちたてた「秦」王朝というのがありました。

 

その秦が暴政をしいたため、

秦の始皇帝の死後、各地で燎原の火のように反乱がひろがり、

その反乱の中から、

項羽と劉邦という、2大英雄が現われて、覇を競うことになるのです。

 

 

 

先にあげた「項羽と劉邦」という司馬遼太郎の作品は、

この史実に取材したものですが、

もしかしたら、この作品のことは知らなくても、

項羽と劉邦のことは知っている方も、いらっしゃるかもしれませんね。

 

 

 

勇猛無比で向かうところ敵なしだった項羽に対して、

当初、劉邦軍は弱かったのです。

 

ですが、劉邦のもとには、きら星のように才能のある将領があつまり、

多士済済でした。

 

 

 

劉邦は、そんな有能の士のアドバイスをよく容れ、

智恵を使うことで項羽と戦い、だんだんと互角にもっていきます。

 

そしてついには、

広武山というところで1年にわたって両軍が対峙できるほどのところまで

もっていき、

項羽軍がやや衰微したところで、両軍は和約を結びます。

 

 

 

ところが、この和約を、劉邦軍が破って、

退却していく項羽軍の後背を襲うのです。

 

 

 

項羽は怒って野戦で劉邦軍を破り、劉邦は奔って固陵城に逃げ込みます。

 

固陵城はなんということもない平凡な城だったのですが、

項羽軍は補給の難もあってこのころには衰微しており、

攻城戦をやっている余裕がなく、

やがて項羽は、固陵城の囲みを解いて、撤退をはじめます。

 

 

 

このときになって、

劉邦の同盟軍であった韓信の軍30万や、彭越の軍、

周殷の軍などが、

劉邦の説得によって、項羽を討つべく、劉邦軍のもとに参集をはじめます。

 

弱者としての劉邦の戦略的な布石が、ようやく生き始めたのです。

 

 

 

項羽は本来なら、故郷の楚へ帰還して再起を図るべきだったのですが、

ここで項羽は、おかしな行動をとります。

 

「このあたりによい地形はないか?」と、

近侍の者に探索させて、発見した場所で項羽は、

なんと、野戦築城をはじめたのです。

 

その場所というのが、

 

垓下(がいか)

 

というところなのです。

 

 

 

天機という人間が、いったい、なんの話をしようとしているか、

想像はつきますか?

 

まあ、聞いてください。

 

 

 

垓下の地で野戦築城をした項羽は、

そこに急造した城に自分の軍を入れ、そこで籠城戦にはいります。

 

このころには、

劉邦の軍(漢軍といいます)のもとには、

韓信の軍や、彭越の軍、周殷の軍など、

各地の軍が集まりました。

 

その軍は日増しに増え、野に満ち、この大陸始まって以来の大軍になりました。

その大軍は、項羽の所在する城を、幾重にも厳重に包囲しました。

 

 

 

大軍に兵法なし、といいます。

劉邦は、ただ、攻撃命令を下すだけでよかったのです。

 

集結した劉邦軍は、項羽軍の城の城門めがけて殺到しました。

 

項羽軍はそれに対して逼塞してはいませんでした。

 

城門を八の字にひらいて、項羽軍(楚軍といいます)の兵は

逆襲にでました。

 

項羽軍の兵は城門からまっすぐに劉邦軍の中を突き進み、

劉邦のいる本営までもが動揺しましたが、

左右から劉邦軍の別動隊に包み込まれて殲滅されました。

 

夕方頃には、あたりを馳駆しているのは、

ほとんどが劉邦軍の兵ばかりになってしまったのです。

 

項羽は、いよいよ最後の時が来たようだ、と悟ったといいます。

 

 

 

ところが夜半になって、事態はまたおかしな方向へと動きます。

 

真夜中になったころでしょうか。

 

劉邦軍(漢軍)のほうからなんと、歌声が聞こえるのです。

 

それも、漢の歌ではなく、項羽の故郷である楚の歌でした。

 

しかも、四面ことごとく楚歌でした。

 

 

 

有名な

 

四面楚歌

 

です。

 

 

 

古来、この歌はだれが歌っていたのかとか、

だれが歌わせたのかとかについて、いろんな説があります。

 

項羽と劉邦」を書いた司馬遼太郎氏などは、

歌は漢軍中の楚の出身の者によって自然にわきおこったのだろう、

という見解をとっています。

 

そのいっぽうで、

漢軍の総司令官であり、背水の陣など、

奇策をもちいた韓信の指示によって歌は発生したのだ、

という説もあります。

 

 

 

いずれにせよ、

この漢軍陣営で発生した楚歌は、項羽の内心に影響します。

 

項羽は、ここでぽっきりと心が折れたのか、

籠城戦をかなぐりすてて、単騎、陣を抜け出して疾風のように遁走するのです。

後にしたがうのは、項羽軍の騎兵数百騎のみとなってしまいました。

 

 

 

驚いたのは劉邦です。

 

項羽が生きている限り、天下は定まらない。」と、

項羽の首に法外な懸賞金をかけるとともに、

5000騎という、この時代ではまれにみる規模の騎兵団を組織して、

項羽に対する特別捜索軍を編成して、項羽を追撃させるのです。

 

 

 

でも、ここで、天機は思ったんですよね。

 

なんか変じゃないかな?と。

 

 

 

劉邦が特別捜索軍まで編成して項羽のあとを追撃させたということからわかるのは、

劉邦にとって、

絶対に項羽を生かしておくわけにはいかない、ということです。

 

項羽が生きているということは、

劉邦にとって、めちゃくちゃまずいことなんです。

 

 

 

であるならば、考えてもみてください。

 

垓下で籠城戦にはいった項羽というのは、

まさに、籠の中の鳥、まな板の上の鯉じゃないですか?

 

どうしても項羽を仕留めたいのなら、

ここで徹底的に項羽の退路を絶って、厳重の上にも厳重に包囲をかさねて、

逃げ道を封じて、そのうえで一挙に総攻撃をかけて

項羽を殲滅してしまえばよかったんじゃないですか?

 

 

 

四面楚歌というのの発生については、その原因に関していろんな説がたしかに

ありますが、

もし、韓信の指揮下におこなわれた「作戦」であったとすると、

なぜ、項羽本人の遁走にもつながりかねないような、

そんな作戦を志向する必要があったんですかね?

 

なにより、

項羽が自身と、自身に従う数百騎のみなのに、

漢軍の重囲を突破して遁走に成功したというのも不自然です。

 

 

 

天機は、そこで思ったんです。

 

 

 

漢軍は、劉邦軍は、そして韓信は、

項羽を取り逃がしたんじゃ、ないのではないか?

 

総攻撃をかけなかったんじゃなくて、

 

下という場所で総攻撃をかけるわけには

いかなかったんじゃないか?

 

と思ったんです。

 

 

 

垓下。

 

 

項羽が起死回生の必殺の一撃を放とうとしたのか、

えらんだその垓下という地の、

垓の字のなかには、

 

 

がはいっていますよね。

 

 

 

十二支の第12原理の「亥」の原理のあらわすものを一言でいうと、

 

最小単位をつぶそうとした瞬間に反撃を喰らう

 

というものでした。

 

 

 

つまり、こういうことなんです。

 

亥という文字がふくまれた、この垓下という地、垓下という場所、

そのものに、

亥があらわす十二支の第12原理の性質が刻み込まれており、

追い詰められて追い詰められてついには「最小単位」にまでなってしまった

項羽は、

その垓下という土地の性質を知っていたからこそ、

この地で起死回生の反撃を目指そうとして野戦築城をしたかもしれず、

また、漢軍は漢軍で、同様にこの垓下という地のもつ

そのような影の意味を知っていたからこそ、

安易に最終攻撃をかけると最終攻撃をかけた側が逆襲されるという、

十二支の第12原理である「亥」の性質を警戒して、

あえて最終攻撃はかけずに、四面楚歌作戦を発動させたのではないですかね?

 

 

 

きょうは、そんなお話でした。

 

 

 

 

 

 

大坂なおみが全豪OP初優勝。時代がかわるとき。

こんにちわ。天機です。

(約4200字)

 

 

 

きのうは、大坂なおみがテニスの全豪オープンで初優勝しましたね!

天機はテレビで見ていなかったのですが、

ヤフーニュースのテキスト速報を固唾をのんで見守っていました。

(←テレビ見ろよ)

 

 

 

大坂なおみは、先の全米オープンでも初優勝をかざっていて、

これで、グランドスラム2勝目となります。

 

先の全米オープンでは、

セリーナ・ウィリアムズとのあいだで確執があったのですが、

今回は、論争の余地なく覇者となり、すっきりしました。

 

 

 

思えば、最近になって、

時代がかわりつつあるなあ、と思えるような出来事が、

立て続けに起こっています。

 

 

 

テニスでは、

2000年代の初頭から、セリーナ・ウィリアムズが絶対女王として、

ほぼ15年以上にわたって黄金時代を築いてきたのですが、

ここにきて、

大坂なおみが次世代の女王の貫録を見せつつあります。

 

 

 

野球の世界では、

1990年ごろからおよそ30年ほどにわたって、

イチローが名実ともにヒーローだったのですが、

ここにきて、

2019年になって、イチローマイナー契約になることが報じられるいっぽう、

大谷翔平というニューヒーローがあらわれようとしています。

 

 

 

将棋の世界では、

やはり、1990年ごろからおよそ30年間ほどにわたって、

羽生善治が名実ともに棋界の第一人者の地位を築いてきたのですが、

昨年2018年、羽生善治は、

約30年ちかくぶりに無冠に転落し、

いっぽうで、藤井聡太というニューヒーローが頭角をあらわしつつあり、

棋界は戦国時代の様相を呈してきています。

 

 

 

古い時代が過ぎ去って、新しい時代が始まろうとするときには、

オールドヒーローが勝てなくなって静かに退場して行き、

いっぽうで、

ニューヒーローが華々しく登場する、

のかもしれない。

 

天機は、そんな印象をいだいています。

 

 

 

思えば、2016年という年は、

イギリスがEUから離脱することが決まり、

アメリカにトランプ大統領が誕生することが決まり、

天皇陛下生前退位されることが決まった、

時代の画期となる年でした。

 

ことしは、2019年なのですが、

この2016年から2019年という、ここ数年間ほどのあいだに、

これまで長い間つづいてきたことが、大きく変わって、

時代がおおきく動き始めるような出来事が、数多く発生しています。

 

そのことについては、こちらの記事でも書いています→

 

reasongomainstream.hatenablog.com

 

reasongomainstream.hatenablog.com

 

 

 

1つの時代が変化するときというのは、

天機が思うに、

ひとびとの個々の運命も、おおきく変化するような気がするのです。

 

 

 

よく、人は言います。

 

成功しようと思ったら、努力しなくちゃいけない。

成功しようと思ったら、人との関係を大切にして、人から好かれなくちゃいけない。

情けは人のためならず、だ。

人のことを思ってなにか善いことをしてあげていれば、

やがてそれは、自分に返ってくるのだ、と。

 

 

 

たしかに、それらのことには、一理あるでしょう。

 

 

 

しかし、

 

時の運

 

というのは、不思議なもので、

 

そのひとが努力してきたのかどうか、とか、

そのひとが人から好かれているのかどうか、とか、

そのひとが他人に親切にしてきたのかどうか、とかいったことには、

 

いっさい関係がなく

 

電車の踏切で信号が青に変われば電車が進むことができ、

赤に変われば電車が進むことができなくなるように、

ただ、

 

時が変化したという、そのことだけで

まるでスイッチでも切り替わるかのように

 

この世界の、全体の時の運が変化したことによって、

世の中の風向きががらっと変わる、そのことによって、

突如としてうまくいかなくなる人がでてきたり、あるいは、

突如として成功の上昇気流に乗り始める人があらわれてきたり、

そういったことがあるのだろう、と、天機は思うのです。

 

 

 

このことを、情景でたとえるならば、

つぎのような情景を考えることができるかもしれません。

 

 

 

広い広い、大地があります。

その大地には、赤い旗を持った人と、白い旗を持った人がいます。

 

 

 

あるとき、その広い広い大地を見下ろすような、

高い高い山の頂に、

大きな大きな、「赤い旗」が1本、高らかに掲げられました

 

 

 

これが、「全体の時の運」「世の中の、そのときの風向き」を

あらわす旗で、

赤の時代の到来を示しています。

 

 

 

すると、

広い広い大地にいた、赤い旗を持った人たちは、

突如として、やることなすこと、うまくいくようになります

反対に、白い旗を持った人たちは、やることなすこと、うまくいかなくなります。

 

 

 

赤い旗を持った人たちは、自信を深めます。

白い旗を持った人たちは、自信を失います。

 

 

 

世の中には、

「成功するなら赤い旗を持とう!」とか、「時代は赤い旗だ!」

とかいった番組や情報、書籍があふれるようになります。

 

赤い旗を持った人が、さかんにメディアに登場し、

自分が成功したのは赤い旗を持っていたからだ、と得意げに語ります。

 

会社の上司は、出来の悪い部下を呼び出しては、

「おまえがいつも失敗ばかりするのは、白い旗なんか持っているからだ!」

と叱責し、

自宅でこれを読むように、と部下に手渡したビジネス本には、

「成功したいなら赤い旗を持て!」といったタイトルが書かれています。

 

 

 

ところが、です。

 

それから何十年かたったころでしょうか。

 

 

 

だれも注目をあまりしていないような、

その、広い広い大地を見下ろす、高い高い山の頂上に、

いままで燦然とひるがえっていた、あの

「赤い旗」が、ひっそりと降ろされて、

かわりに、「白い旗」が掲げられるときが来ます

 

 

 

白の時代の到来です。

 

すると、突如として、

いままであれほどうまくいっていた、

赤い旗を持って大手を振っていたひとたちが、

なぜだか、すこし、調子が悪くなり始めます。

 

 

 

最初のうちは、思うかもしれません。

 

そりゃ、赤い旗にも、調子のわるい時だってあるさ。

でも、基本はやっぱり、赤い旗だよね、って。

 

 

 

でも、違うんです。

 

赤い旗が調子が悪くなりはじめたのは、

全体の時の運」「世の中の、そのときの風向き」をあらわす、

広い広い大地を見下ろす、高い高い山の頂の、その1本の大きな旗の色が、

赤から白に変わったからなのです。

 

それに気づかないでいると、

赤い旗を持った人たちは、

いままでの成功と繁栄が、1枚1枚、樹の皮でも剥ぐかのように、

失われていくことになります。

 

そして、それまでの長い冬の時代、赤の時代を耐え忍んでいた、

白い旗を持った人たちには、

ようやく陽の光が差し込んでくることになるのです。

 

 

 

では、

赤い旗を持っていたひとたちは、努力が足りなかったのでしょうか。

それとも、努力が十分だったのでしょうか。

 

赤い旗を持っていたひとたちは、人から好かれる素質が足りなかったのでしょうか。

それとも、そういった素質にあふれていたのでしょうか。

 

白い旗を持っていたひとたちは、どうでしょう。

 

白い旗を持っていたひとたちは、努力が足りなかった?

それとも、努力が十分だった?

 

白い旗を持っていたひとたちは、人から好かれる素質が足りなかった?

それとも、そんな素質が十分だった?

 

 

 

もちろん、そういったことも、関係があるかもしれません。

影響があるかもしれません。

 

しかし、うえでみたような情景のなかで、

赤い旗を持ったひとたち、白い旗を持ったひとたち、

それぞれの栄枯盛衰に、もっとも大きな影響をもたらしたのは、

ほかでもない、

高い高い山の頂にある1本の大きな旗の色が、

赤と白のどちらだったのか、ということだったのです。

 

 

 

よくひとは、

成功すれば、それはそのひとが努力したからだといい、

人間性が素晴らしいからだ、と言って、誉めそやします。

 

反対に、失敗すれば、

それはそのひとの努力が足りなかったからだといい、

人間性が劣っているからだ、と言って、けなします。

 

 

 

しかし、そういったものとは関係なく

ただ、

 

時の運

 

がどうなのか、そして、

 

世の中の風向き

 

がいま、どちらの方向を向いているか、といったことが、

個々人の運命に大きな影響をもたらしていることは、

現実には、よくあることです。

 

そして、ある程度の年数を生きてこないと、

時の運というものは、じつは移り変わるものなんだなあ、ということは、

なかなか肌感覚での実感には、なりにくいものだとも思うのです。

 

 

 

かつて、松下幸之助という実業家は、

自社の社員を採用するさいに、運の良さを非常に重視した、

ということが言われています。

 

また、日露戦争の開戦がちかくなったときに、

だれを日本の連合艦隊司令長官にするかを決めるにあたって、

ときの総理の山本権兵衛は、東郷平八郎を推し、

その真意を下問された明治天皇に、

「彼は運のいい男ですから」と答えたというのも、

有名な逸話としてのこっています。

 

 

 

ある集団や組織においては、

そのトップとなる人間の運勢や運命といったものが、

その集団や組織の、全体の運勢や運命に影響することがあります。

 

 

 

あとすこしで、日本においては、

平成という時代が終わりをつげます

 

この平成という時代、この30年間の時代を、

言ってみれば、主宰するような人間は、はたして誰であったか?

といえば、それは、

今上天皇ということになるでしょう。

 

内閣総理大臣は、日本国のトップではありますが、

比較的頻繁にころころと変わりますから、

平成という30年間全般にわたってトップであった内閣総理大臣

というのは、考えにくいものでしょう。

 

 

 

とするならば、

この平成という、30年間の時代に対しては、

今上天皇ご本人のもつ運勢や運命が、

非常に大きな影響をなしていた可能性があります。

 

 

 

今上天皇は、

1933年12月23日午前6時39分に東京でお生まれになられています。

 

この生年月日と生まれた時間をもとにして、

西洋占星術でいうところの、ホロスコープをつくることが可能になります。

 

そのホロスコープと、

国民1人1人が持っている、

個々人の生年月日と生まれた時間をもとにしたホロスコープ

照らし合わせてみれば、

はたして、

この平成という時代が、

自分個人にとっては、運のいい時代だったのか、

それとも、そうではなかったのかが、

ある程度、読み取れるかもしれません。

 

 

 

そして、平成という時代が終わるということは、

その、自分個人の運勢にも影響してきたところの、

この日本国の全体の時の運、世の中の風向きも変わるということであって、

それはつまりは、

自分個人の運勢も変わるということなのです。

 

 

 

【紫微斗数】遷移宮の象意について。

こんばんわ。天機です。

(約2000字)

 

 

きょうは、占いのお話です。

 

東洋占術に、「紫微斗数(しびとすう)」という占いがあるのですが、

きょうは、その占いで登場する「遷移宮(せんいきゅう)」

についての、独自の分析記事になります。

 

 

 

さて、紫微斗数においては、

いろんな分野のことを占うために、命盤というのを用意します。

 

その命盤は、12の部屋に分かれていて、それを「12宮」といいます。

 

その12宮のなかで、自分自身をあらわす、

いちばん大切な部屋が「命宮(めいきゅう)」なのですが、

その命宮の向かい側の部屋、つまり、命宮の対宮(たいきゅう)

にあたる部屋が、遷移宮なのです。

 

 

 

遷移宮については、一般的に、

 

①外出運、移動運などをあらわす。

 外出した際や、遠方に移転したときに、その移動先で

 発展できるのかどうか。

 ひとから歓迎されるのか、どうか。

 

②そのひとの対外的な印象をあらわす。

 外から見て、そのひとは、どのように見られているのか。

 

といったことをあらわす、と言われています。

 

 

 

天機は、ここからさらに発展させて、

遷移宮というところが、

どういうふうなことをあらわすのかについて、考えてみようと思います。

 

 

 

まず第一に、遷移宮は、「後天運」や「後半生」を

あらわす可能性があります。

 

ふつう、紫微斗数において、「後天運」や「後半生」

をあらわす宮位といえば、「身宮」が有名でしょう。

 

ですが、各種の紫微斗数の文献や、あるいは、

紫微斗数の本場、台湾などの紫微斗数サイトでは、

身宮にならんで、

「福徳宮」や「遷移宮」が、「後天運」や「後半生」

をあらわす、としているものが、いくつかあるのです。

 

 

 

このことについては、つぎのように考えることができます。

 

 

 

遷移宮の「遷移」という言葉は、

「移り変わって変化していく」という意味を持ちます。

 

つまり、命宮と、その対宮である遷移宮の関係でいえば、

そのひとが生まれたときどうであったか、

ということをあらわすのが命宮なら、

その後どのように変化していくのか、をあらわすのが遷移宮なのです。

 

したがって、

先天運や前半生のことが命宮によく示されるように、

後天運や後半生のことは遷移宮によく示される、

と考えることができるわけです。

 

 

 

ということは、たとえば、

命宮にはあんまりいい星が入っていないけれど、

遷移宮にはかなりいい星が入っている、というような人は、

生まれた時や若い時にはあまり恵まれないけれど、

人生の後半に向かうにつれて、だんだん運が上向きになる、

と読めるわけです。

 

 

 

そして、この「遷移宮」については、

 

各宮の遷移宮

 

というものを考えることができると思うのです。

 

 

 

どういうことなのか、説明していきましょう。

 

 

 

たとえば、紫微斗数の命盤においては、

夫妻宮と官禄宮というのは、たがいに向い合せになっており、

対宮の関係にあります。

 

ということは、

官禄宮というのは、夫妻宮から見た場合の「夫妻宮の遷移宮」であり、

夫妻宮というのは、官禄宮から見た場合の「官禄宮の遷移宮」である、

とみることができるわけです。

 

 

 

ということは、どういうことかというと、

官禄宮は、仕事運や事業運といった、本来あらわしている内容以外に、

 

後半生における結婚運をあらわす

 

という読み方をすることが可能になるのです。

 

反対に、夫妻宮は、本来あらわしている恋愛運や結婚運以外に、

 

後半生における仕事運をあらわす

 

という読み方をすることが可能になるのです。

 

 

 

ゆえに、本来の紫微斗数の命盤において、

夫妻宮にはいい星が入っているけれど、官禄宮には悪い星が入っている、

といった場合には、このひとは、

 

前半生においては恋愛運がよくて仕事運が悪いけれども、

後半生においては仕事運がよくなり恋愛運が悪くなる、

と読むことができます。

 

 

 

以上が、各宮の遷移宮、ということについての説明です。

 

 

 

もう1つ、遷移宮は「遷移」すること、つまり、

 

変化すること全般

 

の吉凶をみることができます。

 

 

 

遷移宮にいい星がたくさん入っているのなら、

このひとは、なにかと変化したほうがラッキーである、

という運の持ち主なのです。

 

反対に、遷移宮にあまりいい星が入っていないようなら、

このひとは、あまり変化せずに、

ひとつの所をじっと守ったほうがいい、

という運の持ち主だということになります。

 

 

 

たとえば、変な例ですが、

数学の試験問題を解いているときに、

1つの問題がむずかしくて、全然わからないとします。

 

遷移宮がいいひとなら、こういうとき、

その問題はおいといて、他の問題にとりかかったほうが、

うまくいく可能性が高い、ということになります。

 

ほかの問題に「移る」ということを、「遷移宮」が管轄しているからです。

 

 

 

また1つ、変な例ですが、

デパートの便所に行ったら、すごく並んでいたとしましょう。

 

遷移宮がいいひとなら、こういうとき、

エスカレーターでほかの階へ移って、べつのトイレを探してみたら、

案外、すいているかもしれません。

 

ほかのトイレへと、「場所を移動」することは、

遷移宮の管轄だからです。