第二次世界大戦後、北朝鮮と日本の両国は、それぞれ、
非常に対照的な国家運営をおこなってきた。
北朝鮮は、先軍政治。軍事をなによりも重視する政策である。
そのために、ミサイル開発、核開発もおこなってきたし、
国民の生活が後回しにされたために、
貧困や食糧難、飢餓の問題がつきまとってきた。
日本は、軽武装、経済優先主義。
これは戦後日本の国家運営を考えるときに、
吉田茂元首相が採用した考え方で、以後の自民党政権も、
この政策を踏襲している。
軍事については、アメリカの庇護のもとで国家の安全をはかり、
軍事費にお金をかけないことで、
浮いたお金を経済発展に回す、というやり方だ。
以前、河合隼雄さんの書いた、ユング心理学関連の本を読んだことがある。
ユング心理学には、「影」という考え方があるが、
この極東に存在する、北朝鮮と日本という2つの国は、
互いが互いの「影」になっているようなところがある。
影というのは、自分があえて目をそむけ、見ようとしていないか、
自分が意識していない側面だ。
軍事に対しては、経済。
経済に対しては、軍事。
戦後日本は、がむしゃらに経済優先で突っ走ってきた。
その背景には、軍事優先で突き進んで破滅することになった、
戦前の経験への、苦い思いがある。
戦後の日本においては、
軍事優先で突き進むというのは、
グロテスクな、ある種の化け物じみた「影」なのだ。
戦後の日本にとって、
戦前の日本というのは、時代に関しての「影」であり、
北朝鮮というのは、他国における「影」なのである。
影の存在を認めることができない、という姿勢はそのまま、
一面では、戦前の軍国主義に対するアレルギーになり、
一面では、北朝鮮という隣国を、なにか異常者でも見るような見方で
とらえることにもつながってきた。
いま、その影が、本体に対して、対峙しようとしてきている。
ミサイル開発、核開発という、「愚かな」ことばかりしていて、
貧しいだけの、歯牙にもかけなかったような国が、
現実に、日本の脅威として、急速に浮上してきている。
軍事優先で国家運営をすすめてきた、北朝鮮の布石が、
第二次大戦後数十年のときをへて、
ようやく効果をあらわしはじめたのである。
このことは、日本にとって、軍事的な脅威であるばかりではない。
経済優先で国家運営をしてきた日本にとって、
なにが正義なのか、なにが幸せのかたちなのか、といった、
依って立つ国家的な、国民的な、パラダイムそのものが、
深刻な脅威にさらされる可能性がある。