この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

脳の男女差を考えるときには。

脳には、そのはたらきに男女差がある、といわれている。

その男女差について考える際には、注意しなければいけないことがある。

 

ひとつは、公平に見る、ということ。

 

もうひとつは、あらかじめ結論ありきではなく、

事実に基づいて厳密に判断し、それが、社会的に波乱をよぶものであっても、

事実、真実の追究のほうを重視する、ということだ。

 

脳の男女差について語る際には、

「男性の脳には〇〇という長所があり、女性の脳には〇〇という長所があります」

あるいは、

「男性の脳には✕✕という短所があり、女性の脳には✕✕という短所があります」

といった表現は、公平な見方に基づいている。

 

いっぽうの長所について語るさいには、他方においても長所について語り、

いっぽうの短所について語るさいには、他方においても短所について語っている

からだ。

 

それに対して、

「男性の脳には✕✕という短所があり、女性の脳には〇〇という長所があります」

というような表現は、公平なものではない。

 

男性については短所をあげているのに、女性については長所をあげており、

このような表現に接した者は、

女性の脳のほうが男性の脳よりも優れている、といった、

歪んだ認知にいたる可能性があるからだ。

 

インターネット上のサイトで、脳の男女差についてかかれたものを読む

際には、

こういった不公平な表現が、全面的あるいは部分的に、

なされていないかといったことについて、慎重にみていく必要がある。

 

大切なのは、真実であること、公平であること、だ。

そして、真実であること、公平であることは、

たとえ感情に逆らうものであったとしても、価値があり、大切なものなのである。

【西洋占星術】結婚生活をみるには?【ホロスコープ】

西洋占星術で結婚生活をうらなうには、どうすればいいのだろう。

その結婚生活が順調にいくのか、それとも、障害が多いのか。

どうやったら知ることができるだろう。

 

ひとつの方法としては、夫の生年月日時でだしたホロスコープと、

妻の生年月日時でだしたホロスコープをつきあわせて、

相性をみきわめるというやり方がある。

 

ほかの簡易な方法としては、ずばり、

2人が結婚式をとりおこなった、その日と時間で、

ホロスコープをだしてみる、という方法がある。

結婚式をとりおこなった年月日と時間でだしたホロスコープというのは、

2人の結婚生活にかんして、始源図の役割をはたすと考えられるからだ。

 

そのホロスコープにおいて、

全体的な傾向をあらわす1室には、どんな星がはいっているのか。

結婚相手をあらわす7室には、どんな星がはいっているのか。

家庭運をあらわす4室には、どんな星がはいっているのか。

ソフトアスペクトが多いのか、それとも、ハードアスペクトが多いのか。

そのホロスコープの太陽を、1日1年法で進行させたときに、

数年後に、どのような問題が発生してきそうか。

 

そういったことを、みていくのだ。

松乃家の、から玉丼。

松乃家の、から玉丼を食べた。

 

いままで、松乃家では、からあげ定食をたのむことが多かった。

一度、メインのとんかつを使ったかつ丼をたのんだことがあったのだが、

どういうわけか、ころもがパサパサしていたためか、

口の中の皮がめくれてしまったのだ。

 

それ以降、松乃家では、からあげ定食をたのむようになった。

からあげでは、口の中の皮がめくれたりは、しなかった。

 

からあげ定食は、600円だ。

最近、松乃家のホームページを見ていて、から玉丼というのがあるのを知った。

 

から玉丼は、からあげを卵でとじた丼で、480円だという。

からあげ定食より安い。

これは、からあげ定食の代替になるのではないか、と期待して、たのんでみた。

 

結果。

まあまあ、おいしかった。

とろとろの卵でとじてある部分は、とくにいい。

 

が、からあげの数が若干、少ないように感じた。

 

からあげ定食だと、大きめのからあげが4つ、ついてくる。

から玉丼のからあげは、切ってあって、若干、小さくて、

全部合わせてもからあげ2、3個にしかならないんじゃないだろうか。

 

でもまあ、それなりにうまい。

 

【矛盾】盾と矛、どちらが勝つのだろう?ーその1。

つじつまがあわないこと、道理にあわないことをさして、

矛盾、という。

 

この矛盾という言葉は、中国の故事からきている。

話の概要は、以下のようになる。

 

昔、楚の国の人で、盾と矛を売る人がいた。

そのひとが、盾をさして言うのには、

「この盾はとても頑丈だから、どんな矛でも、これを突き通すことはできない」

と言う。

いっぽうで、矛をさして言うのには、

「この矛はとても鋭いから、この矛で突き通せない盾なんかない」

と言う。

それを聞いていた見物人のひとりが、

「では、その矛でその盾を突いたら、いったい、どうなるのだ?」

と聞いたところ、その商人は、答えることができなくなってしまった、という。

 

この話は、中国の古典である「韓非子」の「難」という編にでてくる話だ。

であるから、この話は、韓非のまったくの創作である、

というように考えることもできる。

 

ただ、まったくなにもないところから、このような話をいちから作り上げた、

というよりかは、自分は、

もともと民間の寓話、口伝として伝承されていた内容をもとにしたのではないか、

という気がする。

 

この、矛盾の故事になった話は、とてもシンプルで短い。

韓非子という古典作品のなかには、ほかにもたくさんの内容がふくまれているのに、

この「矛盾」の故事だけは、現代にいたるまで、つとに有名だ。

 

自分は、なんらかの文学作品や芸術作品、神話や伝説、伝承、故事成語

といったものが、

長い時の試練にも耐えて現代まで色あせることなく伝わっているとすれば、

それは、そのなかに、なんらかの、一見したところでは分からないような、

この世界の真理のようなものがひそんでいるからではないか、

と勝手に考えている。

 

矛盾の故事は、おそらく、韓非がその著作の中に採録する以前から、

中国古代の民衆の間では、知られた話だったのではないか。

 

 

では、この盾と矛、もし、このような盾と矛の戦いが、実際にあったとしたら、

果たして、勝つのはどちらなのだろう。

おちんちんとおまんこの、本質的な違いーその2。

こういった、空腹や射精に関する苦痛であれば、

食事をしたり、射精をしたりすれば、その苦痛は解消されるばかりか、

快楽をも得られるのである。

 

しかし、生理はそうではない。

生理の期間が過ぎ去ると、なるほど、苦痛はある程度遠ざかるかもしれないが、

だからといって、快楽がそのかわりにやってくるわけではない。

 

つまり、おまんこ関連現象には、クリトリスの勃起をともなう性的オーガズムと、

生理が存在するのだが、

前者は、男性における射精と同様に、女性に快楽をもたらすものであるけれど、

後者は、女性に一方的に苦痛だけをもたらすものであって、

それについては、男性において、それに相当するものは存在しないのである。

 

おまんこ関連現象にともなう苦痛は、ほかにもある。

 

女性は、はじめて男性と性交するとき、処女膜がやぶれて出血し、

ある程度の苦痛をともなう。

が、男性がはじめて女性と性交するときには、

男性側には通常、べつに苦痛はない。

 

女性が性交すると、妊娠、出産へとむかう可能性があるのだが、

妊娠、出産のプロセスにおいては、長期間にわたって女性は、

肉体的、精神的に苦痛を受ける。

その苦痛は、出産のまさにその瞬間においては、極めてはなはだしいものになる。

が、男性にはそのようなことはない。

 

以上をまとめると、

男性側のおちんちん関連現象は、基本的には射精のみであって、それは、

おおきな快楽と結びついている。

一方で、女性側のおまんこ関連現象は、性的オーガズム、生理、破瓜、妊娠、

出産、と多岐にわたっているが、

そのうちの性的オーガズムを除けば、ことごとく苦痛と結びついているのだ。

 

とりわけ、女性の生理は、性交や妊娠、出産といった行為を選択しなくても、

一定の年齢に達するまで、定期的に女性を苦しめるものである。

 

男性は一般的に、結婚することや家庭をもつこと、子供をつくり、

子供を育てること、などに関しては、

子供をつくる行為そのものを除いて、あまり積極的な関心をもたないことも多い。

 

しかしながら女性は、恋愛や結婚、妊娠、出産、子づくり、子育てといったもの

について、人生の中で非常におおきな比重をおいて考える傾向がある。

 

そのちがいはどうして生まれるのか、といえば、それは、

男性においては、おちんちん関連現象は基本的に快楽であるのがデフォなのに

対して、

女性においては、おまんこ関連現象は基本的に苦痛であって、

とくに、定期的に生理の苦痛を受けるなどにいたっては、およそ、

性交、妊娠、出産といったプロセスへと進まないかぎり、

その苦痛の意味を見出しがたいものだからであろう。

おちんちんとおまんこの、本質的な違いーその1。

おちんちんは、男子についている。

おまんこは、女子についている。

 

おちんちんは、きのこのようなかたちをしている。

おまんこは、あわびのようなかたちをしている。

 

ふだん、慣れ親しんでいるおちんちんとおまんこだが、

両者の間にはいったい、どのような本質的なちがいがあるのだろうか。

 

 

自分は、両者の間にある本質的なちがいというのは、

おちんちんが「快楽」と結合しているのに対して、

おまんこは「苦痛」と結合していることだ、と思う。

 

男子は、成長すれば、射精をするようになる。

そして、射精をすることは、快楽だ。

 

もちろん、射精をしたいのにできないというのは、たしかに苦痛ではある。

好みの女の子に性的にアクセスできないために苦痛を感じて、結果、

性犯罪に至るような男性も、たしかに存在はする。

 

しかし、その種の苦痛というのは、

なにか望ましい状態があって、自分がいまだその状態に達していないときに

一般的にみられる苦痛である。

 

おなかがすいて、食べ物を食べたいのにそれが実現しないときは、

たしかに苦痛である。空腹や、飢餓感といった苦痛だ。

 

しかし、その手の苦痛は、食べ物を食べれば解消する。

そして、寿司やステーキといった美味しい食べ物を食べることは、

ひるがえって快楽にもなりうるものだ。

 

射精に関しても、それと似たようなところがある。

射精したいのにできない、あるいは、性欲があるのにそれが実現できず、

性的な欲求不満にある、といった状態は、たしかに苦痛である。

 

しかし、射精ができてしまえば、その苦痛は解消するし、

たとえばソープランドなどで美人と性交することができれば、

おおきな快楽をえられる。

 

以上のことから考えると、おちんちんという、射精をつかさどる男子の器官は、

苦痛のみと結びついているとはいえず、むしろ、

おおきな快楽と結びついている、といえそうだ。

 

 

 

では、おまんこは、どうだろうか。

 

おまんこも、たしかに快楽と結びついている面はある。

おまんこのなかには、クリトリスという器官があり、男子のおちんちんと

同じように、興奮によって勃起する。

そして、男子と同じように、性的なオーガズムを感じることができるのだ。

その意味では、おまんこもまた、快楽と結びついている、と言えそうではある。

 

しかしながら、おまんこは、おちんちんとは違って、

非常に重大な苦痛と結びついているのだ。

 

たとえば、成長した女性は、ほぼ月に1回、生理がおとずれる。

ぼくは男性なのでよくわからないが、

生理は、肉体的にも精神的にも、一定期間、女性にはなはだしい苦痛をあたえる

ようだ。

 

そして、この苦痛は、さきほどの、

おなかがすいているのに食べられない苦痛、とか、

射精したいのにできない苦痛、あるいは、美女とまぐあいたいのにそれが

できない苦痛、などといった苦痛とは、おおきく異なるのである。

 

 

 

 

ブログのアクセス数と、メダルゲームのメダル。

ブログを純粋な趣味でやっていると、

ブログのアクセス数が増えても、収入には結びつかない。

 

そんなブログのアクセス数は、

ゲーセンのメダルゲームのメダルに似ている。

 

スロット店のメダルゲームであれば、

メダルはお金につながる。

 

が、ゲーセンのメダルゲームは、そうではない。

ゲーセンのメダルゲームでメダルが増えても、

実際の収入とは全然関係がない。

 

そういう意味で、趣味でやっているブログのアクセス数が増える喜びは、

ゲーセンのメダルゲームでメダルが増える喜びに似ている。