この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

寿命1年を1000万円で買い取ってもらえるなら。

こんなことを考えることがある。

自分の寿命1年分を、1000万円のお金で買い取ってくれるサービスがあったなら、

自分ははたして、どれくらい売却するだろうか、と。

 

これは、そのときの自分の年齢によって、そして、

残された寿命によって、おおきくかわってくるかもしれない。

 

自分がいま20代の若さで、残された寿命がわずか5年だったとする。

もしそうなら、自分はたぶん、寿命をまったく売却しないだろう。

残された時間を精一杯、生きることだろうと思う。

 

自分がいま何歳であるかにかかわらず、

自分が100歳まで生きることがわかっているなら、

90歳から100歳までの10年間の寿命を売却して、1億円を手に入れる

かもしれない。

というのも、90歳から100歳までの間なんて、

どうせよぼよぼで、生きていてもそれほど楽しくはないだろうから。

 

このように考えてくると、おかれた状況によって、

寿命の価値がずいぶんちがっていることがわかる。

 

20代で余命5年の人とかは、むしろ、

1年1000万円ほどであれば、寿命を買いたい側の人間であるかもしれない。

 

反対に、身寄りもなく孤独で、慢性病をかかえている老人などは、

1年100万円ほどであっても、残りの寿命を売り払って人生を清算したい、

と思うかもしれない。

 

ここに、寿命売買業者というのが存在したとする。

おそらくその業者は、安い値段で寿命を買い付けて、

高い値段でそれを売りつけることで利益をえるだろう。

 

学校卒業後ニート、ひきこもりの状態が長く続いていて、

人生に何の希望も持てず、

大量殺人事件でも引き起こして人生を終わらせよう、などと考えている

若者に近づいていって、寿命売買業者は、こうささやくのである。

「あなたの寿命を1年50万円で買い取りますよ?」と。

 

その若者が短絡的であれば、残りの寿命を全部売り払うだろう。

そうすれば、寿命売買業者は、破格の値段で寿命を獲得できる。

若者は、そのお金を使って、きれいなネーチャンのいるお店で遊んだりできる。

そして、起こるはずだった大量殺人事件は、起こらない。

いいことづくめではないだろうか。

 

そして今度は、寿命売買業者は、高い値段ででもいいから寿命がほしい、

と思っているひとのところへ、その寿命を売りに行くのだ。

 

美貌も、名声も、家族も、学歴も、職業も、なにもかも恵まれている女性がいて、

ただ、病気のために、30代にもかかわらず余命があとわずかだとする。

その女性の夫は、とても裕福だ。

さらには、その女性は国民的な人気があるために、

その女性の命を救うためならば、多額の寄付金が集まるかもしれない、

という状況であったとする。

 

そういう女性のところへ、寿命売買業者は近づいて行って、こうささやくのだ。

「1年1億円で、寿命をお買い上げになりませんか?」と。

 

そうすれば、その女性は、10年分、20年分くらいなら、寿命を買うかもしれない。

そうすれば、自分に幼い子がいたとして、

その子が立派に成人するくらいまでは、見届けることができるかもしれない。

反対だなあ。教育無償化と、こども保険。

政府は、教育無償化を憲法改正の目玉に位置づけるなど、

政策としてすすめようとしている。

また、自民党は、こども保険という名前の制度をもうけて、

幼児教育の無償化などを実現しようとしているようだ。

 

自分は、そのいずれにも、反対だ。

 

教育無償化というのは、一見したところ、授業料などの費用がかからなくなって、

教育の機会均等にも資するし、いいことだなあ、と思うかもしれない。

しかし、それが「いいこと」であるのは、

現に学校へ通っている生徒、児童本人に対してか、あるいは、

そのような生徒、児童をかかえる家庭に対してだけである。

 

教育無償化を実現するには、財源が必要だ。

その財源としては、おそらく、税金がつかわれる。

 

税金は、みんなが納めたものだ。

教育無償化を実現すると、そのみんなが納めた税金が、

子供のいる家庭だけに配られることになる。

 

つまり、子供がすでにいなくなった家庭とか、

子供がいない家庭とか、単身世帯などにとっては、

税金をはらうだけで、自分にとってはまったくなんの利益もない制度、

ということになってしまう。

 

これでは、あまりにも不公平ではないだろうか。

 

たしかに、日本の未来にとっては、子供がいることは重要なことだ。

しかし、子供を産み、育てるというかたちばかりではなく、

この日本では、各人が各人の方法で、日本の国と社会の繁栄や発展のために

貢献しているのである。

 

なにも、子供を産み、育てるような国民だけが一等国民であって、

子供のいないような国民は二等国民である、というわけでもないのだ。

子供のいない国民の一方的な負担において、子供のいる国民を利することは、

公平、公正の原理から考えれば、おかしなことであろう。

 

それに、いまでこそ日本はそれなりに豊かであるが、

高度成長期以前の日本は、まだ貧しかったのである。

そんななかでも、ひとびとは、なにも教育無償化などといった制度がなくたって、

自分の力で立派に子供を育ててきたのだ。

 

現在、教育無償化という制度が必要である、と主張するひとたちは、

当時と比べて、状況的になにがどう変化したのか、あきらかにすべきだろう。

 

また、こども保険というのも、おかしな制度設計だ。

 

保険と名のつくものは、基本的に、受益者負担が原則である。

 

火災保険にはいっているひとは、万が一、火災が発生したさいには、

自分がその火災保険にはいっていることによって、利益をえられる。

 

地震保険にはいっているひとは、万が一、地震が発生したさいには、

自分がその地震保険にはいっていることによって、利益をえられる。

 

健康保険にはいっているひとは、万が一、自分が病気になったさいには、

自分がその健康保険にはいっていることによって、利益をえられる。

 

保険料をしはらうのは、みな、自分自身もその保険の恩恵にあずかることが

できるからこそ、保険料をしはらっているのである。

 

ひるがえって、こども保険はどうか。

 

こども保険の保険料は、みなが支払う。

ところが、それで利益を得るのは、実際にこどもがいる家庭だけだ。

保険料の負担者と受益者が、一致していないのである。

 

この世の中には、

子供がすでにいなくなった家庭、子供のいない家庭、単身世帯、

いろんなかたちの家庭が存在する。

そういった家庭の存在を無視して、一方的に子供がいる家庭だけをもてはやすのは、

なんともおかしなことだろう。

 

 

 

国民みなに影響するような制度を設計するさいには、なによりもまず、

その制度が公平、公正なものであるかどうか、ということに意を払うべきであって、

必要かどうか、利便性の観点からはどうか、

ということだけにとらわれてはならない、と思う。

 

劉暁波氏、コール元首相の死去に思う。

中国の民主活動家、劉暁波氏が亡くなった。

先ごろには、ドイツのコール元首相も亡くなった。

 

劉暁波氏が民主化運動の前面に登場したのは、

1989年の、のちの天安門事件につながる、中国での民主化運動

のときのことだった。

 

コール元首相が歴史にその名を刻んだのは、ドイツ統一を実現したことによる。

そのドイツ統一は、

1989年に連鎖的に発生した東欧での民主化革命の流れのなかの、

そのひとつに位置づけられるベルリンの壁崩壊がきっかけになったものだ。

 

劉暁波氏と、コール元首相。

2人はいずれも、1989年の世界的な民主主義拡大のうねりとともに

登場し、

それから30年近くが経過した2017年の今年、あいついで亡くなった。

 

2人の死去は、1989年ごろから始まった、30年ほどにわたる、

「ある一つの時代」の終焉を示唆しているように思われてならない。

 

なにかの終焉があると、きまって「ひとつの時代が終わった」などとコメント

する輩が存在することは事実だが、

それでも、あとからふりかえったときに、その出来事が、

たしかに、一つの時代の終焉を象徴するかのような、

エポックメイキングな事象だったなあ、ということは、実際あるものだ。

 

今年は、将棋の藤井聡太四段が、30年ぶりに連勝記録を塗り替えた年でもある。

1990年前後からはじまった平成という時代も、

今上天皇生前退位とともに、あとすこしで終わりをむかえる。

また、その平成という時代とともに活躍を続けてきた国民的アイドルグループの

SMAPという団体も、

2017年の今年からは、もういない。

 

ここ30年ほどのあいだ続いてきた、あるひとつの時代の空気感というものは、

これから先、確実に変化していくことになるだろう、という予感がある。

世界史でみる、北東鬼門方位の脅威。

風水というのは中国が発祥だが、

日本にも方位学というのは存在する。

移動するときの方位や、家を建築する際の方位などを、

それでみるわけだ。

 

日本の方位学において、とくに恐れられている方位に、

北東の鬼門方位というのがある。

どうせただの迷信だろう、なんて思うかもしれないが、

世界史上の出来事をしらべてみると、

かならずしも、そうとは言い切れないのだ。

 

ある国からみてある国がどの方位にあるのか。

それを調べたければ、正距方位図法で描かれた地図が必要になる。

が、インターネット上のサイトを使えば、もっと簡便だ。

どこでも方位図法

たとえば、うえのようなサイト。

 

これで、いろんな国をみてみると、どんなことがわかるだろうか。

 

日本は太平洋戦争で米国と戦い、敗れ、はじめて他国に占領されることになった。

日本から見て米国は、北東鬼門方位にある。

 

アメリカの大地にはもともと、インディアンが住んでいた。

ところが、イギリスから移住してきたやつらによって、彼らは虐殺され、

住むところを追われた。

アメリカから見てイギリスは、北東鬼門方位にある。

 

イギリスにはもともと、いろんな民族がいたが、

11世紀にノルマン人がノルマン朝という征服王朝をたてた。

ノルマン人はもともと、スカンジナビアバルト海周辺が原住地である。

イギリスから見て、スカンジナビアバルト海周辺は、

北東鬼門方位にあたる。

 

ヨーロッパにおいてフランスは、普仏戦争以降、

自力でドイツの侵略を跳ね返せていない。

フランスからみてドイツは、北東鬼門方位にある。

 

ドイツは第二次大戦でソ連に敗れ、とくにその首都であるベルリンは、

ソ連の統治下におかれた。

ドイツから見てソ連は、北東鬼門方位にある。

 

南米にはインカ帝国アステカ帝国が栄えていたが、

スペインからやってきたピサロやコルテスといった侵略者によって滅ぼされた。

インカ帝国などがあった地域から見てスペインは、

北東鬼門方位にある。

 

中国ではいまなお、南京大虐殺でおおくの犠牲がでたことに関して

日本を非難しているが、

南京のある場所から見て日本は、北東鬼門方位にある。

 

などなど。

 

北東にいるやつらは、自分に害をなしてくる可能性がある。

 

ちなみに、日本の中心と言えば、言わずと知れた首都東京である。

東京都民に電力を供給するのは東京電力だが、

その東京電力の本社があるのも、首都東京だ。

日本と、東京電力に大打撃をあたえた惨事と言えば、

東日本大震災と、それにつづく福島第一原発事故だが、

その福島第一原発は、首都東京から見て、北東鬼門方位にある。

スタンダール「赤と黒」。

スタンダールの小説に、「赤と黒」という作品がある。

古典文学の一つだ。

 

この作品についてウィキペディアで調べると、

どうして「赤と黒」という作品名になったかについて、

いろいろな説があげられている。

が、ここでは、自分で独自に考えてみることにしよう。

 

このブログではしばしば述べていることだが、自分は、この世界は、

矛盾→理→生、という順番で出来上がった、と勝手に考えている。

人間の体でいえば、髪の毛→頭→胴体、の順番。

1日でいえば、夜の闇→昼の光→夕方の夕焼け、の順番。

色でいえば、黒→白→赤、の順番。

 

そして、矛盾→理→生という生成がどのようにして起こったのかというと、

まずはじめに、矛盾という母なる女性がいた。色でいえば、黒だ。

その女性が、はじめてとなる自分の子を産んだ。

この第一子が男の子で、理だ。色でいえば、白になる。

そして、その理を産んだ母なる矛盾と、うまれた子である理がまじわって、

第二子である生がうまれた。女の子だ。色でいえば、赤になる。

 

この世界生成の原理の中で、女性は2人登場する。

1人は、矛盾という母なる女性で、母であるから、年齢は比較的高い女性である。

その色は、黒。

もう1人は、生という女性で、これは女の子だから、年齢は比較的若い女性である。

その色は、赤。

 

つまり、世界生成の原理をふまえて考えれば、

赤は、年齢の若い女性を、黒は、年齢の高い女性を、

それぞれあらわしていることになる。

 

もしスタンダールが、この世界生成の原理を知ったうえで、

赤と黒」という作品名にしたのだとしたら、

おそらくその作品の中では、

年齢の若い女性と年齢の高い女性が、主要な登場人物として

あらわれてくるのではないだろうか。

東洋占術と、数え年の計算法。

数え年、というのを、聞いたことがあるだろうか。

おじいちゃん、おばあちゃんなど、古い世代のひとは、昔は、

よく数え年で年齢を数えたりしていた。

42歳は男の大厄、などといわれたりするが、

この厄年の計算法も、数え年で数えた年齢を基準としている。

数え年で42歳は、男の厄年だ、ということだ。

 

では、数え年とは、なんなのだろう。

どうやって計算するのだろう。

 

普段、日常的に使っている満年齢に、1歳だけプラスしたら、

それが数え年なのだろうか。

 

じつは、それはちがうのだ。

数え年には、数え年の、独特の計算法がある。

 

ウィキペディアなどで、数え年の計算法をしらべてみると、

「生まれた年を数え年1歳とし、以降、1月1日がくるごとに、

 1歳ずつプラスしていく」などと書かれている。

なるほど、そうなのか、と思うだろう。

たしかに、日常的に簡便に数え年を扱う際には、これでも事足りる。

 

 

しかしながら、東洋占術をやる際には、注意が必要だ。

四柱推命(子平、先天八字)、あるいは、紫微斗数といったものが、

東洋占術の代表的なものなのだが、

これらはもともと、中国発祥のものである。

これらの占いでは、年齢の計算は数え年が基準になっているのだが、

その数え年を計算する際には、やはり、

中国式のやり方を用いなければ、東洋占術として機能しなくなってしまうのだ。

数え年の、簡便な計算法では、占いの役にはたたないのである。

 

では、東洋占術での、数え年の計算法とは、どのようなものなのか。

それは、以下のようになる。

「生まれた時点(生まれた年、ではない)を1歳とし、以降、

 旧暦の1月1日(旧正月)がめぐってくるごとに1歳ずつ加える」

このようになるのだ。

 

であるから、数え年で数えた年齢は、満年齢プラス1歳、あるいは、

満年齢プラス2歳、のいずれかになる。

 

具体的な例で考えてみよう。

 

太陽暦グレゴリオ暦)での10月にうまれたひとがいるとする。

このひとは、うまれた時点で、数え年1歳である。

数え年に0歳はない。はじまりは、数え年1歳からだ。

 

月日がめぐり、1か月から2か月ほどたって、太陽暦での元日がきたとする。

しかし、そのひとの数え年での年齢は、変化しない。

太陽暦での元日、ふつうわれわれが年賀状を受け取ったりする元日の到来は、

東洋占術での数え年には、変化をおよぼさない。

 

それからしばらくたって、

太陽暦での1月末ごろから2月上旬ごろにかけて、

旧暦の1月1日(旧正月)が到来したとする。

旧正月は、だいたい、毎年それくらいの時期にやってくる。

この時点で、そのひとは、数え年2歳になる。

 

それから8か月ほどたって、太陽暦での10月がやってくる。

そして、そのひとが実際に生まれた10月の誕生日がやってきたとする。

しかしそのことは、数え年には、なんら影響しない。

そのひとは、満1歳になるのだが、数え年は2歳のままである。

 

 

別の具体例でみてみようか。

 

太陽暦での1月にうまれたひとがいるとする。

このひとは、うまれた時点で数え年1歳だ。

ただ、このひとの場合、うまれたのが太陽暦の1月だから、

うまれてからわずか数週間ほどで、

ただちに旧正月がやってくることになる。

そうすると、やはり、そのひとは数え年2歳になる。

そのひとが数え年1歳であったのは、わずか数週間だけ、ということになるのだ。

 

うまれたのが太陽暦での2月上旬で、旧正月がその数日後にやってくる人もいる。

そういうひとは、

数え年1歳であったのは、うまれてから数日間だけ、ということになる。

自分にとって敵なのか、味方なのかーその3。

このやり方を使えば、まだ自分が実際に会っていないような相手でも、

そのひとが自分にいい影響をあたえる人なのか、

それとも、よくない影響をあたえる人なのか、という予測がつく。

これから交際をはじめようかな、恋愛関係になろうかな、

と思っているような相手でも、

これを使って相性をみることができる。

 

これは、自分に身近な、親しい、せまい関係にあるようなひとだけに

適用できるものではない。

もっと広い範囲の人、広い範囲の事象に適用できる。

 

たとえば、この日本という国は、はたして、

自分と相性がいいのだろうか。

日本という国にいて、自分は活躍、発展できるのだろうか。

 

そんなことを考えたときには、次のホロスコープを調べてみるのが、

役に立つかもしれない。

① 日本国憲法が公布、施行されたときの年月日

② 神話、伝説上で、この日本という国ができたとされる、

  紀元前660年2月11日

③ 今上天皇の生年月日

④ 現在の内閣総理大臣の生年月日

 

①は、新憲法下での新生日本において自分が活躍できるかどうか。

②は、古来より続くこの日本の地から、自分は支援を受けられるかどうか。

③は、平成という時代が、自分にとって運のいい時代なのかどうか。

④は、現政権は、自分と相性のいい政権なのかどうか。

 

そんなことを、みることができると思う。

 

そのほかにも、たとえば、アメリカという国は、自分と相性がいいのか。

中国という国は、自分と相性がいいのか。

そんなことを知りたければ、アメリカや中国の建国年月日でホロスコープ

出してみればいいかもしれない。

そうすれば、たとえばアメリカや中国へ旅行に行ったり、あるいは、

アメリカや中国でビジネスをしたり、といったときに、

それがうまくいくかどうかについて、ひとつの示唆をあたえてくれるだろう。

 

会社でもそうである。

会社には、その会社の設立年月日と、創業者の生年月日、

現在の代表取締役の生年月日がある。

それらを調べれば、その会社にたとえば入社するとき、

あるいは、その会社と取引するとき、あるいは、

その会社の株を買おうとするとき、

はたしてそれらがうまくいくかどうかにかんして、示唆がえられるだろう。