この世界の不思議

この世界のいろんなことについて、思ったことを書いていきます。

なぜ火球が増加しているのか?

昨日も、関東から西日本にかけての広い範囲で、

火球が目撃されたとニュースがあった。

 

このてのニュースがあると、たいてい専門家と称されるひとたちは、

「あれは火球です」と、決まり文句のように言う。

が、現象にただ単に名前をつけたからといって、

その現象をほんとうに理解できたことの保証にはならないだろう。

 

問題は、こういった火球とよばれる物体が、これほど頻繁に目撃

されるような事態は、過去にはなかったということだ。

ここ数年において、あきらかに火球の目撃件数は急増している。

だからこそ、頻繁にニュースにもなるのだ。

 

「空の異変」はほかにもある。

いわゆる、「アポカリプティックサウンド」とよばれる現象で、

空から原因不明の奇妙な音がきこえてくるというものだ。

空から音、といったワードで検索すると、多数ヒットしてくるし、

Youtubeなどにも動画があがっている。

じっさいにこういった現象が存在しないのにあたかも存在するかのように

騒ぎ立てるなら、それはオカルトとよばれてもしかたないかもしれない。

しかし、火球はあきらかに存在するし、空から音がきこえるというのも

もし事実であるならば、

じゃあ、その原因はなに?

ってことになる。

 

ノストラダムスの大予言というのが、かつてブームになり、

現在では忘れ去られた感があるが、その予言の中に、

「キリスト再臨のまえに、空が前兆をしめす。」

というのがある。

オカルト好きのひとならば、火球や空からの音を、

こういった予言と結びつけて楽しむのかもしれない。

勉強を効率的にすすめるためのリスト

自分が考えた、勉強を効率的にすすめるためのリスト。

自分が中学生、高校生、浪人生だったとき、こうしていればよかった、

と考えたことなど。

 

1 中3生、高3生になるまでに、超得意科目を1つつくっておく。

  英語、数学などのメジャーな科目でなくていい。

  日本史とか、化学とか。理科とか、社会とか。

 

2 教科書や参考書は、最初は、ただ読み通すだけでいい。

  もっというと、文章をただ視界にいれるだけでいい。

  音読する必要もないし、キーワードを別の紙に書く必要もないし、

  ノートをつくる必要もない。

  とにかく、できるだけはやく、最初から最後まで1周する。

  つぎに、それを繰り返す。

  覚えようとしなくていい。回数を繰り返すと、自然におぼえる。

 

3 性欲をあまく見ない。

  勉強しなければならない10代という時期は、とくに男子は、

  性欲が非常にたかまる時期だ。

  これを甘く見ていると、勉強せずにオナニーばっかりしていた、

  ということになりかねない。

  あまりはなはだしいようなら、浪人生などは、風俗産業を利用

  したほうが、すっきりして勉強に向かえるかもしれない。

  ふつう、勉強するなら、予備校や塾の講座や通信添削などに

  お金をかければ成績が上がる、と思うだろう。

  しかし、ひとによっては、そのお金で風俗店へ行き、勉強は自分で

  参考書と問題集でやったほうがうまくいく、という場合もあるのだ。

  性欲をあまく見てはいけない。

 

4 体力のない人間は、激しすぎる運動部の部活は避けたほうがいい。

  練習が終わって7時ごろに帰宅しても、眠くて勉強どころではない、

  という事態がおこりうる。

 

5 通学が必要な予備校や塾ばかりでなく、自宅でパソコンやスマホ

  ネット受講ができるものも検討したほうがいい。

  自宅での受講なら、通学途中の都会の雑踏で孤独感を感じることも、

  教室でボッチの悲哀を味わうこともなく、自宅で寝そべりつつ、

  鼻くそでもほじりながら授業を受けられる。

 

6 参考書や問題集には、自分との相性がある。

  ランキングで上位に入っている人気の参考書でも、自分には

  向いていないかもしれない。

  また、内容的には素晴らしくても、細かい字でぎっしり書かれて

  いて、読んでいて疲れるかもしれない。

  大きめの書店に行って、実際に手にとって選ぶのがいいだろう。

 

7 基礎知識が十分でないのに、Z会などのむずかしめの通信添削

  に手をださないほうがいい。

  通信添削というのは、基本的に、送られてきた問題を解いて

  提出する問題演習が中心になっている。

  問題を解くための知識がまだ十分でないのにこれらに手をだすと、

  問題がぜんぜん解けなくて、未提出の封筒ばかりがたまっていく、

  ということになりかねない。

 

8 はじめて知識を得るために勉強するときは、

  ~がおもしろいほどわかるシリーズとか、~の実況中継

  (語学春秋社)とか、予備校の講師が講義口調で、

  手取り足取り親切にかみくだいて教えてくれるタイプの

  参考書からはいるのがいい。

 

9 高校数学のチャート式では、赤チャートが難しすぎるのは

  いうまでもないことだが、青チャートでも難しい。

  ほとんどの高校生、受験生は、黄色チャート以下のレベルから

  はじめたほうがいい。

 

10 通学の電車のなかで単語帳をめくったり、自宅のトイレの

   壁に英単語の紙を貼り付けたりするのは、無意味である。

   あれをやると、たいていは、「そこまでして頑張っている

   自分」というのに酔ってしまうだけで、たいして頭に入って

   いないことが多い。

   勉強はやはり、夜、自宅の自分の部屋で机に向かっている

   ときが正念場で、かつ、それだけでいい。

   「怠け者の節句働き」ではないが、通学の電車のなかで単語帳

   をめくっているのに自宅の自分の部屋ではぜんぜん勉強しない、

   では、目も当てられない。

 

11 図書館や自習室での勉強も善し悪しである。

   集中できるのならいい。

   が、近くの席に座っている可愛い女の子のことが気になって、

   図書館のトイレでオナニーでもするようなことになると、

   成績はあまり上がらないだろう。

 

12 耳栓は重宝する。

   たとえ、周囲がそれほどうるさくない時でも、耳栓をすると

   やけに集中して勉強できることがある。

   市販の耳栓よりも、ネット通販で取り寄せた耳栓のほうが

   効果が高いことがある。

   ただし、ヘッドホンタイプの耳にかけて使用するイヤーマフ

   というのは、がっかりするほど遮音効果がない。

 

13 あたらしく知識を仕入れるときには、本を読んで独学するのは

   おすすめしない。

   いまならYouTubeとかでも講義動画とかがあるので、

   講義を視聴するのがいちばんである。

 

14 家の中にソファーがあると、本を読んでする勉強が

   とてもはかどることがある。

 

15 本の記述のなかには無駄な部分がある。

   おんなじことが繰り返しべつの箇所に小さい字で書いてあったり

   するので、読むのを省く。

 

16 通学時間というのは、時間も労力も交通費もとられて

   基本的には無駄な時間だ。

   いまならネット授業をまず第一に検討したい。

 

17 単語集について。

   英単語帳や古文単語帳といったものがある。

   そのなかには、1つの単語について複数の意味が列挙されている

   ことがあるが、できれば、核となる意味1つにしぼって最初は

   暗記したい。似たり寄ったりの意味を持つ言葉を几帳面に

   全部暗記するのは、時間と労力の無駄だ。

   また、英熟語集などには、解体して自分でカードにして

   リングを通すという作業を要求するものもあるが、

   これも時間と労力の無駄だ。

   また、英単語の暗記にあたっては、最初は派生語まで覚えようと

   しないほうがいい。

   暗記のスピードが遅くなる。

   さらには、英単語を暗記するだけなら、

   速読英単語のような、英文とセットになったものを使用すると、

   やはり、暗記のスピードがおそくなる。

 

18 勉強になかなか着手せずに、だらだらと無為に時間をすごして

   しまう、という問題もある。

   その問題を回避するためには、重要な勉強と、とっつきやすい勉強

   があったら、とっつきやすい勉強のほうに先に着手する、

   というのも、いいやり方だ。

   さきに簡単なタスクをこなしておくと、作業興奮によって、

   だんだんやる気がでてくる、ということも期待できる。

 

19 参考書や問題集がたくさん自宅にあるのに、

   実際に取り組んでいるものはほとんどない、というよりも、

   参考書や問題集は自宅にほとんどないけれど、

   そのほぼすべてに実際に取り組んでいる、

   というほうが、よっぽどいい。

 

20 勉強というのは基本的に、

   知らないことを暗記する、知識を仕入れる、

   か、

   理解できないことをじっくり考え抜いて理解できるようになる、

   かのいずれかの作業が重要になる。

   なので、それ以外の、ノートをきれいにつけたり、

   通学したり、といった、余計なことはなるべくしないにかぎる。

 

21 本というのは不思議なもので、

   すらすらと読み進めることができる日もあれば、

   読むのに苦労する日もある。

   すらすら読める好調な日には、

   たくさん読み進めておくといい。

 

22 参考書のなかには、やたら難しくて、

   書いてあることが全然頭に入ってこない変な本もあるものだ。

   そういう本は、たとえ買ってしまった後であっても、

   早々に見切りをつけ、他の参考書にうつるべきだ。

時間とお金を節約するリスト

時間とお金を節約する方法を、リストにまとめておこうと思う。

思いついたら、その都度付け足していこう。

 

1 初詣に行かない。初詣だけではなく、ふだんから神社仏閣の

  たぐいから距離をおく。お守りやお札、お賽銭、道中の交通費

  を節約できるほか、往復の移動時間、労力の節約にもなる。

  たぶん、行っても行かなくても、運気にはあまり関係がない、

  はず。

 

2 風俗関係にお金をつかわない。ソープ、イメクラ、ヘルス、

  個室ビデオといったものにお金をつかわず、ネットの無料動画

  ですませる。病気もふせげる。

 

3 髪をカットに行く回数をへらす。ただし、自分で髪をカットするのは、

  効率が悪い。

 

4 ネットやスマホの料金プランを見直す。

 

5 時間のある人であれば、相続登記などを司法書士にたのまず、

  自分でやる。不動産売買などに関する税金の申告が必要な場合にも、

  税理士にたのまず自分でやる。裁判で弁護士をたのまず、

  本人訴訟をする。

 

6 たまに、寿司や焼き肉など、1回の食事でどばっとお金が出る

  ものを食べたくなる衝動にかられる時期がくるが、そこを乗り切る。

  しばらくしたら忘れる。

 

7 映像作品を見たくなったら、ネットで無料で視聴できるものに

  しておく。ツタヤとかでDVDをレンタルしに行くと、

  借りるときと返す時の往復移動時間、料金がとられる。

 

8 お金だけでなく、時間も大切にする。労働に対する時給は、

  ひとによって異なるが、かりに、時給1000円とすると、

  3分の価値と50円の価値は等しくなる。

  ということは、たとえば、30円安い商品を買うために5分

  余分にかけて遠くのスーパーへ行くことは、損になる。

 

9 自分の労働に対する時給をいつも計算しておく。

  不当に安い賃金でこき使われているなら、その時間は働かずに

  自分でその時間を味わったほうがいい。

 

10 将来かならず使うものは、まとめ買いしておく。

   何度もその場所に足を運ばなくてすむ。

   ただし、本をまとめ買いすると、読まずに積んでおく可能性

   が高まる。

 

11 腕時計の電池は、自分で交換する。そのための精密ドライバー

   を100均で買っておく。

 

12 図書館は、お金の節約にはなるが、時間をうしなう可能性がある。

   借りに行くとき、返しに行くとき、往復の移動時間、労力を

   とられる。図書館が遠い場所にあるのなら、なおさらだ。

 

13 1000円以下でカットしてくれる格安の美容室、理容室

   であっても、待ち時間がすごく長いかもしれない。

   自宅の近所にあって、予約ができる美容室、理容室であれば、

   時間の節約になる可能性がある。

 

14 保険を見直す。

   家財道具が全部合わせても100万円もしないのに、

   家財道具600万円までを保障する火災保険などは不要。

 

15 100均を利用する。

   100均でそろうものは多くなっている。ふだんから100均

   にある品物をチェックしておくといい。

 

16 スポーツジムには通わない。

   簡単なタスクであればあるほど、習慣化に成功しやすい。

   ダイエットや健康のためであれば、まずはウォーキングを。

   ふつうの服装、ふつうの靴で、やりかたなどは意識せず、

   ふつうに近所を歩きまわって帰ってくるだけでいい。

   最近のスポーツジムは老人のたまり場になっていて、

   リフレッシュ効果も期待できない。

 

17 払っても払わなくてもいいお金を、思いつきで払ってしまわない。

   たとえば、同窓会費とか、災害に際しての寄付金とか。

0.999…は、本当に1か?

0.9999…と、小数点以下に9が無限につづく数は

1である、と、数学ではそのように考えるらしい。

その証明方法は、いろいろある。

たとえば、X=0.99999…とする。

この式の両辺を10倍すると、10X=9.99999…

になる。

最初の式と2番目の式の辺々をそれぞれひくと、

9X=9になる。よって、X=1。

ゆえに、0.999…=1である、と。

 

ウィキペディアにも、これについての記事がある。

0.999…が1と等しくなるのは、

直観に反するかもしれないが、数学的には真実である、

と述べられている。

その理由の一つにあげられているのは、一般人は、

0.9999…のその先のどこかに、

「最後の9」が存在するだろう、と考えるのかもしれないが、

そんなものはなく、実際には無限に9が続くのだ、

ということである。

 

だが、ほんとうにそうなのだろうか。

自分は数学の門外漢であって、高校数学までしか学習したことは

ないのだが、このことについて考えてみたい。

 

1という数字がある。

この数字のうち、10分の9を確保すると、0.9という数字が

できる。確保した残りは、0.1だ。

つぎに、残りの0.1のうち、やはり10分の9だけ確保して、

それを最初の0.9にくっつけると、0.99になる。

この作業によってあらたに生まれる残りは、0.01だ。

さらに、残りの0.01のうち、10分の9だけを確保して、

それをあらかじめつくっておいた0.99にくっつけると、

0.999になる。

この作業によってあらたに生まれる残りは、0.001だ。

 

0.999999…という数字は、小数点以下に9が無限に

続いている、ということなのだが、ここでは、

その数字がどういう数字なのか、ということを総体的に考えるのではなく、

どういう作業の繰り返しによってこの数字はうまれてくるのか、

ということを考えてみよう。

先にみたように、小数点以下に9をひとつ増やそうと思ったら、

「残っている部分の10分の9を確保して、それを最初に確保

しておいた部分にくっつける」という作業(作業R)をしてやればいい。

0.9999999…という数字は、小数点以下に9が無限個くっついて

いる。

ということは、作業Rを無限回繰り返した、ということになりそうだ。

 

ところが、である。

作業Rは、あくまで10分の9だけ確保して、それをもとの部分に

くっつける、という作業にすぎないのだ。

その量は、10分の9を超えない。

いいかえれば、10分の9しか、あらたに確保することはできないのだ。

それが、作業Rである。

つまり、作業Rを1回おこなうと、かならず、10分の1という

「残り」が生じる。

数学者はいうかもしれない、いやいや、10分の1などという残りは

生じないよ、残りが生じようとした段階で、すかさず、あらたに

10分の9は奪われるんだから、と。

 

べつにかまわないよ。

10分の9はうばわれる。それも、永遠に。

それはたしかに真実だ。

しかし、10分の1が残り続ける、各段階で。

それも真実だ。

0.999…は、なんとかして、のこりをゼロにしよう

と奮闘するのだ。10分の9を奪い続ける、という作業を無限に

繰り返すことで。

しかし、この作業を何千回、何万回、何億回、何兆回、無限回

繰り返したところで、相手をゼロにしきることはできないだろう。

だって、その作業は、10分の9を奪う、ってだけなんだから。

1回でも、10分の10を奪う、っていう段階が、どこかの作業に

存在すればべつだよ。でも、ちがうよね。

撤去された自転車を、回収に行くべきか?

自転車を路上に放置していて、市や区に撤去されることがある。

その自転車を、回収に行くべきだろうか?

 

回収に行った場合のコストを考えてみよう。

①撤去保管料 2000円から3000円

②保管場所までの往復の時間 2時間として、時給1000円換算

 だと2000円

③往復の労力 とくに、帰りは比較的辺鄙な場所から自転車を

 長距離、運転して帰らなければならない労力

④行きしなにかかる交通費

 

こういったものが必要になる。

これは、もともと所有していた自転車を、以前とおなじように

所有している状態に戻そうとしたときにかならずかかるコストだ。

そしてこのコストは、放置していた自転車を撤去されてしまった

時点で、すでに潜在的に発生していて、実際に回収に向かうことで、

その潜在的なコストが現実化する。

 

とはいえ、この潜在的なコストを現実化させるかどうかは、

自分の意思決定しだいだ。

たとえば、撤去された自転車を回収に行かずに、新しい自転車を

購入したとすると、新車の購入代金はかかるかもしれないが、

その費用負担は、新車の購入代金から、回収にかかる潜在的なコスト

を引いたものになる。

自転車を撤去されてなどいない状態で、ふつうに新車を買う場合には、

その費用負担はまるまる新車の代金そのものであるが、

自転車を撤去されていてそれを回収に行かねばならないという状況下

で新車を買う場合には、その費用負担は、回収にかかるコストが

割り引かれたものになるのだ。

漢字の、はね

漢字の、とめ、はね、はらいには、あまり注意をはらわなくていい

と、文化庁があらたな方針をしめしたというニュースが、去年あった。

 

自分は、漢字のとめ、はね、はらいは、単なる文字の装飾ではなく、

なんらかの意味があってそうなっていると思っている。

文字や言葉というのは、人間が意思疎通するうえで便利なように、

という単純な利便性の観点のみから機械的にうまれたものではなく、

通常は見えないようななにかを、目に見える世界の背後に見出し、

その世界に関する体系を言葉の世界に反映させたものである、

と勝手に思っている。

 

門や寸、水、小といった字には、上から下へとおろした線を

左向きにすこしはねあげる、という形がみられる。

これは、存在や現象という現実世界に対する関係において、

何らかの意味で強制的な通用力をもつという意味をもつ漢字に

あらわれるのではないか、と、例によって勝手に思っている。

 

 

漢字についての、その他の記事は、こちらから↓

 

reasongomainstream.hatenablog.com

痒、という漢字には、なぜ羊がはいっているのか

頭がかゆい、腕がかゆい、足がかゆい、おなかがかゆい、

いろいろと、かゆい思いをするときがある。

この、かゆい、漢字で書くと、痒い、になる。

 

なぜ、痒という漢字には、羊という漢字がふくまれているのだろう。

痒いと羊に、なんの関係があるというのか。

 

漢字について調べるときに、ネットでは、ウィクショナリーという

サイトがある。

が、痒という漢字については、その字源はまだ編集されていなかった。

 

例によって、自分で一から考えてみる。

羊というのは、どんな特徴をもつ動物だろう。

熊や猿、犬や猫、豚や牛、そういったほかの動物とくらべて、

羊に特徴的なことって、なんだろう。

 

羊に特徴的なこと、それは、真っ白な毛でおおわれている、

ということだ。

その毛並みは白く美しく、また人間は、その毛を刈り取ることで、

羊毛から毛織物をつくる。

 

この羊の毛は、羊の体のどこに生えているだろうか。

頭だろうか。背中だろうか。おなかだろうか。おしりだろうか。

 

ちがうよね。羊の毛は、羊の体全体にはえている。

羊の体の、その体表、つまり、体の表面全体を毛がおおっている。

これが、ほかの動物とちがうところだ。

 

もちろん、熊や猿、犬や猫、豚や牛といった動物にも、

からだの表面に体毛はある。

しかし、羊の場合に特徴的なのは、その体毛が、からだの表面が、

ほかの動物にはないような特徴的な体毛によって、非常に強調されて

いるということだ。

 

熊や猿、犬や猫、豚や牛、そういった動物しか例に出していないから、

いやいや、ほかの動物でも、からだの表面がやたらに強調された

動物がいるんじゃないの?と思われるかもしれないが、

たぶん、羊以外には、なぜか存在しないのだ。

ワニやカバといった生き物は、ごつごつとした、似たような皮膚で

おおわれている。

蛇やカエルというのは、ヌルヌルとした、似たような皮膚でおおわれて

いる。

鳥類は、似たような羽毛でおおわれている。

が、羊だけはことなる。羊は、その特徴的な体毛で、

「表面」だけを他の生き物と異ならせているのだ。

 

では、痒い、というのは、どういう生理現象だろう。

 

痒いの特徴を考えるために、もう一つの生理現象である、

痛い、とともに考察してみよう。

 

あやまって手を切ってしまったら、その切り傷がいたむ。

ころんでひざ小僧を擦りむいてしまったら、その擦り傷がいたむ。

そういった痛みはある。

 

しかし、痛みには、おなかが痛むとか、骨が痛むとか、

頭の奥のほうが痛むとか、

からだの内部、からだのなかのほうが痛む、という痛みが存在する。

 

他方で、痒いというのは、それとは異なる。

 

頭の表皮がかゆい、手の甲がかゆい、陰部がなんとなく痒い、

そういった痒みがあるいっぽうで、

胃が痒いとか、骨の奥が痒いとか、頭の奥のほうが痒いとか、

そういった痒みは、存在しないのだ。

 

どういうことかというと、痒みという生理現象は、からだの内部では

発生しないか、発生したとしても知覚できない。

痒みという生理現象が発生するのは、

からだの「表面」においてだけなのだ。

 

ここから、羊と痒みが、すこしリンクしてくる。

羊は、ほかの動物と異なる特徴として、からだの「表面」を

特徴的な体毛でおおっている、ということがあった。

痒みという生理現象は、からだの「表面」のみで発生する。

 

つまり、「羊」という漢字は、

「表面におけるなんらかの異常」をあらわす文字なのではないか。

 

このことをもとに考えてみると、ほかの「羊」をふくんだ文字についても、

見えてくることがあるかもしれない。

 

たとえば、佯、という文字はどうだろうか。

この文字は、佯る(いつわる)と読む。

この文字をつかった熟語に、佯狂(ようきょう)というのがある。

いつわって狂う、つまり、実際は精神状態は正常なのにあえて狂人

のふりをするということだ。

 

佯という漢字には、実際の内面とはちがう外面を、たとえば他者を

だますなどの目的でよそおう、という意味がある。

つまり、自分という人間の、外から見た面、「表面」を、

意図的に異ならせているわけだ。

 

詳、という漢字はどうだろうか。

この漢字は、詳しい(くわしい)と読む以外に、詳らか(つまびらか)

にする、という読みがある。

 

微にいり細にいって言葉をつくして説明するということは、ようするに、

現状や事実の「表面」を、言葉でもって飾り立てるということに

通じるものだ。

 

羊という漢字は、「表面におけるなんらかの異常」というのを原義

としてもち、そこから、表面において内面とは異なった外見を

飾り立てる、という意味がうまれてくる。

 

羊頭狗肉、という故事成語、四字熟語がある。

店頭では羊の肉と称して販売していたのに、実際にはそれは犬の

の肉だった、ということで、見せかけと実際が異なるたとえとして

用いられる言葉だが、もしかしたら、この四字熟語に羊という文字が

入っているのも、羊肉が高級とされているから、という理由以外に、

外面ばかりは美しくみえるという意味で羊という漢字を使ったから

なのかもしれない。

 

この羊という字と、大という字を組み合わせると、

美という字ができる。

 

美という漢字の字源は、おおきな美しい羊だ、という説がある。

 

が、僕はたぶんそれはちがう、とおもう。

羊という漢字に上に見たような原義があったように、

大という漢字は、たんに大きいという意味を表すのではない、

原義があるとおもう。

 

また、別の機会に書くかもしれないが、自分は、

大という漢字は存在や現象をあらわし、小という漢字は、

その存在や現象の背後にある精神、心、法則性、といったものを

あらわす、と、勝手に考えている。

 

とするならば、美という漢字が、羊に大を組み合わせてできているのは、

存在や現象の表面を飾り立てることが、美しいということの背景に

あるからではないだろうか。

 

漢字はふしぎだ。

いま、羊という動物と痒みは、「表面になんらかの異常が存在する」

という意味で共通してるよね、と、その共通性から考えていったが、

実際は、「逆」かもしれない。

 

「表面における何らかの異常」という、ある種の原理がこの世界に

存在して、

それが動物という具体的な事物に具体化された存在が羊であり、

人間の生理現象というかたちで具体化されたものが痒みである、

のかもしれない。

 

 

 

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